バンコクとタイ家族のこととくだらない話と

タイ在住歴20年のライター・高田胤臣の個人的なブログ

あの子たちはいったいどこに?

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 セントラル・ワールドなんて、オレはいまだにワートレなんて言ってしまう。かつてはワールドトレードセンターだったわけで。

 そんなワートレから伊勢丹もなくなったしな。まあ、伊勢丹で買いものできる人は伊勢丹で買わずに日本で買うし。フードコートも数年前にできてたけど、あれも信じられないレベルで高額設定だったな。しかも、大しておいしくなってんだから最悪。もうあのころから伊勢丹撤退のカウントダウンは始まっていたんでしょうね。

 伊勢丹がなくなって悲しいみたいな、撤退直前のニュースとかで言ってたりする人がいたようだけども、恥ずかしくてオレはそんなこと言えないわ。絶対、その人も行ってないでしょ、普段。アソーク、プロンポン辺りが便利になってきたら、わざわざチットロムまで行く人なんていないって。

 同時に、このワートレ周辺もだいぶ変わったな。画像のエリアなんて、今は連絡橋が通ってるし。右側の運河沿いの小屋とかなんか、もう公園になっているしな。この小屋はかつては雑貨屋兼食堂で、近くの屋台で飲んでる人たちのトイレでもあったんだよな。1回いくらか取られて。あるいは、なにか買えば使わせてくれるみたいな店だった。

 で、我々はその小屋と伊勢丹の間の歩道に夜になると出てくるイサーン料理屋台によく行った。2002年から2005年くらいの間かな。あのころは飲みに行くって言うとこういう屋台で、友人らとも新しいところ開拓しようぜって言っても、自然、屋台だったんだけどな。あるいは食堂やパブ・レストランみたいな。普通にタイ料理だった。

 オレらが行ってたイサーン屋台は、その3軒くらいある屋台の真ん中だった。小屋に近いところはシーフードとかが中心だったような。伊勢丹寄りが最も調理設備がしっかりした屋台だったけど、我々は真ん中に。

 というのは、店員の女の子がオレたちに優しかったからなんだな。ふたりいて、小柄な子がギックちゃんだったかな、名前。その子より大きい子はいつもキャップを被ってた。ビアちゃんだったような。当時は今ほどタイ語ができなかったから、イサーン語とかなに言っているかわからないときもあったけど、店主のおっちゃんとおばちゃんとも仲良くなって、楽しかったなあ。なんなら、その辺りを歩いている花売りとかも顔見知りだったしな。

 最初のころは17歳くらいなのかとふたりを見ていたが、なにかのきっかけで年齢を訊いたら、当時14歳だった。あれはタイ社会の暗部を見たような気がして驚いたな。

 その後、オレも引っ越してしまったし、何度かの反政府活動の座り込みで営業ができなくなって、なくなった。彼女たちももう30代だろうな。今、なにしてるんだろうなあ。