バンコクとタイ家族のこととくだらない話と

タイ在住歴20年のライター・高田胤臣の個人的なブログ

ビートルズを聴きながらインドを思い出す

 インドはカルカッタの鉄道予約センターでたまたま言葉を交わし、偶然、バラナシの久美子ハウスのドミトリーで隣り合い、死語トークでひたすら盛り上がった千葉兄がバンコクに現れた。インドで会ったのが1998年末。その後渋谷で1度、バンコクで3年前に会ったきり。
 待ち合わせはタニヤ入り口にあるアイリッシュパブ前。事情がありすでに22時ごろ。
 相変わらずのスキンヘッドに筋肉質なボデー。ま〜ったくもって俺とは逆のお人。
 そういやインドもいろいろあったなぁ〜、と。
 シャクティマンというインドのヒーローもののテレビがあって、子どもたちには絶大な人気があったわけだけど、写真を見たら、ただのおっさんが赤だったかえんじだったかの色のコーデュロイの服を着ているというか。
 元々なぜシャクティマンを知ったかというと、あまりにもバラナシが暇で、かといって飛行機の券はカルカッタ-バンコクでフィックスされてるし、どこか別の街へ行くほどの気力もないし、というわけで、仲よくなった近所の子どもたちとケンカ凧に興じていたら、一緒にいた石川県出身の若者がシャクティマン凧を買ってきたわけで。
 誰? ということで説明を求めたらあるひとりの子どもがシャクティマンの写真のはがきを持ってきて爆笑*1。それが出会いというか。ま、爆笑系は買い取ってあげたわけよ。したら「日本人=シャクティマンを買う」が勝手にできてしまい、全然関係ない日本人が通ると「シャクティマンあるよ〜」って。いや、知ってるの俺たちだけだから。
 ついには少年の自宅にお呼ばれしてシャクティマン鑑賞。死んだからね。第1回目鑑賞会ですよ、第1回目。死んじゃうかね〜、そのタイミングで。後日復活したらしいけどさ。
 あと、電波少年みたいなので室井滋が演歌歌いに来てたな。
 隣の宿ではマリファナだったかヘロインだったかで3人くらい同時に死んでたし、宿でマラリアになったおっさんもいたし。
 そんな中千葉兄とはひたすら死語トークでアホみたいに笑ったわ。
久しぶりに会って話しが尽きないわけだけど、始まったビートルズコピーバンドが思いのほか音がでかい。耳を近づけなければ聞こえないくらいでかい音量で。でも好きだけどね、このバンド。
 店も終わってしまい、仕方なく帰ることに。いや〜、次はいったいいつ会えることやら。4月に日本に帰ったときに会えればいいのだけれども、どうしてなかなか、僻地に住んでいらっしゃる方で・・・・・・。
 サンクス、千葉兄

*1:子どもたちはみんなカーストで将来はボート漕ぎになる子たちばかり。子どものときは絵葉書を売って生活の足しに