バンコクとタイ家族のこととくだらない話と

タイ在住歴20年のライター・高田胤臣の個人的なブログ

さようなら

さようなら20代の俺!

 今日は人生の節目というか。
 さようなら、20代。明日から女子高生あたりには、どんなにがんばっても「おじさん」のジャンルに入れられてしまう30代に。
 とりあえず今までの人生振り返ってみようかなぁ。

・乳児期
 憶えているわけがない。
 ネネが生まれてうちの親に聞いたけど、俺は4200g級のでかベビーだったらしく。
 お宮参りかなんかの写真、生後1年未満なのにも関わらず、後ろに立つ祖母の顔が完璧に隠れるくらい頭がでかい・・・・・・。

・幼稚園時代
 これもあんまり憶えていないが、なぜか知らんがリーダー的な扱いをされていた。先生からも園児からも。誰がなりたいと言ったんじゃ? ここからひねくれた性格が形成されていったに違いない。

・小学校時代
 幼稚園は思いっきり離れていたところだったため、入学時、友だちゼロ。
 低学年。2時間目と3時間目の休み時間は20分。みんな外に出るわけだけど、外に出るのが嫌な奴もいる。それが俺。そういうのはどうなるのかというと、先生に引っ叩かれて外に出される。また、いじめられてて学校に行きたくなくて朝わめく。そういうのはどうなるのかというと、親に引っ叩かれて外に出される。
 確実に性格が歪むわな。
 高学年。登校班というのがあって、小5のときに班長に。通常は6年生がなるのだけど、うちの地区には1コ上がいなくて。俺は6年の時になりたいと言ったが5年でやらされる。同い年の男の子がいたけれど、アホなために信用がなく俺がなるはめに。で、5年生の1年間だけで6年のときはやらなくてよいという約束でなったにもかかわらず、5年の最後の集まりで翌年の班長にさせられそうになる。拒否すると「わがまま言うんじゃありません」と参加してたばばあに怒鳴られる。このばばあには息子がふたりいて、上の方は登校拒否児だったそうな。俺を怒鳴る前にすることがあるだろう。
 確実に性格が歪むわな。

・中学校時代
 性格は歪んでいたけど、学年ではトップクラスの学力。
 信じられない?
 俺だって信じられないよ、今の暮らしを考えたら
 とにかく無駄な3年間。生徒もバカだったが、教師もバカなので、あのころの学校をもう一度テレビかなんかで見れたとしたら、日本の未来は確実にない、とそう感じるに違いない。

・高校時代
 性格が歪んでいたので、だんだん行かなくなって中退。
 ま、あのまんま無理にでも通っていたら、バット振り回したり、今の若くてネジの緩い子たちの先駆けになっていたでしょう。

・17歳
 高校辞めてすぐ、バイクの洗車でミスって右手人差し指を切断。運転中の事故じゃないからね。洗車中だからね。
 おかげで今でも細かい作業ができません・・・・・・。
 当時はバイク便のバイトをしてたっけ。

・18歳
 夏から屋形船のバイト。人生でもっとも金があった時期。
 初めて生ビールを飲み、感動。以来ビール党に。
 ちなみにこの年の冬、オートレースの選手候補生試験を受けるが落ちる。ちなみに元SMAPの森君が受かった年。後日新聞見てびっくりした。

・19歳
 会社員になってみる。
 潜水士の免許も取らせてもらって、何度か海に潜ったけど、もう今は覚えていないなぁ。浮上時間とかの計算なんか完璧に忘れた。
 ちなみに俺が仕事で潜った海は、ついこの間ホットな話題を振りまいていた志賀原発の海。冬は超でかいエチゼンクラゲ(?)が大量に発生。

・20歳
 初タイ。
 釣崎清隆氏の報徳堂の話を読んでタイに来てみるが、英語が全然通じなくて断念。

・21歳
 バンコク経由で初インド。
 初めて大麻を経験するが、たったの1回だけ。へぼい日本人がうざかったのと、酒の方が好きだと思ったので。

・22歳
 当時付き合っていた女の子とタイへ旅行。
 あまりに意見が合わず、ひとり旅の方がいいと痛感。

・23歳
 タイ語を学びにバンコクへ。初めての海外生活。
 が、最終的にゴーゴーにはまってしまう。

・24歳
 タイで永住! を目指し、資金を稼ぐため岡山へ。某自動車工場でバイト。
 タイのひとり旅より孤独。後半、金曜ロードショー(? 洋画劇場だっけ?)で放映されるジブリのアニメ「耳を澄ませば」を1週間前から楽しみにしたり、今考えると普通ではない状態に。

・25歳
 タイへやってくる。
 当初女の子の部屋へいたが、1ヶ月もしないうちに逃げ、次に行った場所で借りたアパートを追い出される。ま、これも女絡みだけど。おかげで、確保できた家財道具の扇風機となぜかでかい洗濯だらいを持ってカオサンのゲストハウスへ。恥ずかしかったわ。
 カオサンには3ヶ月程度滞在。途中日本語学校の先生をやってみたりした。

・26歳
 某無料新聞の編集部に。糞みたいな環境だった。
 当時17歳の女の子が転がり込んできてある日突然いなくなった。
 アムと知り合ったのは27歳になる年の1月。

・27歳
 WinSportsという新刊の無料新聞の編集部へ。社長がいわゆる「漢」でいろんなことを学んだ。
 取材でレスキューに密着24時間を2回敢行。そのときに知り合った人事のボスにお願いして、ボランティア隊員になる。ついにレスキューのユニフォームに袖を通すことに!

・28歳
 WinSportsがあっさり潰れる。
 アムを連れて日本へ。そしてバイト。
 戻ってきてからは人材派遣会社への登録に奔走し、観光警察の通訳でなぜか張り込みをしたりする。
 皿井タレー氏に声をかけていただき、実名にてバンコク・ジャパニーズ列伝」という本に俺の半生を載せていただく。
 現職である日系の商社へ就職。

・29歳
 結婚。式はせずに、婚姻届だけ。国際結婚って大変ねぇ。
 そして、ネネ誕生。

・30歳
 ネネ順調に育つ。
 俺、脂肪肝で酒を断つことに?

 あんまいい人生じゃないなぁ、俺。
 でも、アムに会った辺りからレスキューにも入ったし本にも書いてもらったし、だんだんと向上。
 それまでは全部なかったことにしてくれてもいい、かな。
 振り返らなければよかった・・・・・・。
 ま、明日から華の30代、大いに楽しみまっせ。