バンコクとタイ家族のこととくだらない話と

タイ在住歴20年のライター・高田胤臣の個人的なブログ

ネネの記録

 メーカーさんやらお客さんやらと話していると稀に子どもの話になる。大抵は相手の方が、まあ年齢にも寄るけど、結構大きな子だったり、あとは3歳くらいだったり。
 で、うちの子はもうすぐ1歳と4ヶ月なんて話しをすると、日本語とタイ語のどっちを喋るの、って。
 うちはハーフで2ヶ国語が同時にあるから喋るのが遅いと思う。ほかの人に訊いてもそうだった。それに単一の言語でも1歳4ヶ月だとそんなに喋るってほどは喋らないだろうに。
 まあ、もう何年も前のことで忘れちゃったのかなぁ、自分の子がそのころどうだったかなんて。
 たしかに細かいところまで憶えていられないというか、そういうのはあると思う。現に俺も忘れてしまったことってあると思う。
 でも、できるだけ憶えていたいなぁ、って。
 幸い、こうしてブログを書いているので、公開しているので限度や限界があるけど記録されている。それにことあるごとに俺は手帳とかにメモをするタイプであるので、これからももっともっと残しておきたいなって。書かないで憶えていられたらもっといいんだけどね。
 そんな中、タイで製作されている雑誌、『まるごとタイランド』の取材を受けた。タイの地元の病院で出産した外国人夫婦もしくは国際結婚組ってことでの取材だったかと。これ自体も記念になるし、取材されるに当たって出産前からのことを遡っていったら、いろいろ記録が残ってて、ああ、ブログやっててよかったなって思った。
 でも、俺は気がついてしまった。
 生まれるまで検診で毎月通院してたのに、ほとんどブログに書かれていないのね。よく言われるけど、女は妊娠したときから母親になって男は生まれてから父親になる、って。たしかにそうだ。自覚ゼロっぽいもんな、ブログの書き方。上海で結構な金を女の子に巻き上げられてるし。
 実際、生まれるまで子どもがどんなんだって想像もつかなかった。アムのおなかの中で動いてたり、モゾォォォォって足とか腕とかが動いているのがおなかの上から見えたりしても、ピンと来てなかったと思う。
 あの日、手術室の外で待ってて、お父さん、って呼ばれてそうしてネネがガラガラ〜ってベッドに乗ってきたときは、人だ! って思ったもんな。
 とにかくあのときの感動は忘れないよ。それは大きな出来事だったからね。そのほかの小さな些細な喜びはちゃんと記録に残して、いつでも思い出せるようにしたい。立ち上がったときとか、初めて歩いたときとか。これからだと、ちゃんと喋ったときとかひとりで洋服を着られるようになったときとかさ。
 『まるごとタイランド』には写真も掲載する。でも公開するやつはきっとこれが最後だけどね。
 実は2008年になってからはブログに一切ネネの写真出してないんだ。1歳になる前までだったら、そのあとと全然顔が違うだろうし、あんまり公開しすぎるのもね。
 写真で思い出したけど、デジカメって便利だけど、写真のありがたみっていうのがなくなってしまうね。ネネのアルバムをちゃんと作ってない。これ、バックアップもちゃんと取っておかないとパソコンぶっ壊れたらネネの写真も全部台無しだもんな。
 記録を残すっていうのは結構気を遣う大変なことで・・・・・・。