バンコクとタイ家族のこととくだらない話と

タイ在住歴20年のライター・高田胤臣の個人的なブログ

レスキュー本部で米担ぎ

米担ぎ

 毎年恒例の米担ぎ。今年は8月の頭から9月4日まで販売し、9月6日に貧困層の方々へ配布される。
 13時ごろ、フアチアオ病院の駐車場に停めて、本部には歩いていった。
 全然人がいない。いつもはごったがえす人で、休む間もなく軽く1トン分は担ぐんだけど、土曜だからなのか全然人がいない。



 暇で疲れてしまう感じ。
 今年は報徳堂の100周年なので、お守りなどの受付もしている。高いのだと家に置いておくもので4万バーツくらいするものもあり。俺とハマさんはかわいく400バーツのお守りと300バーツのコイン方のお守りにする。予約番号が1199となんかラッキーナンバー。ちなみに俺らの前にいた中華系タイ人夫婦は41000バーツ分くらい買ってた。報徳堂や義徳堂への寄付や購入などした領収書は確定申告のときに使えるので、いいことをしたうえに免税対策にもなる。
 超暇で、最近うちのチームで見かける女の子と話をした。したら19歳で、アメリカに住んでいるんだそうだ。13歳から単身アメリカに渡り、中学高校と出たらしく。うちのチームへは知り合いの紹介ではなくて、近所でやっているうちのチームを見て、タイに帰ってきている間、一緒に走らせてくれと頼んだらしい。行動派だね。

 4歳の女の子が自分で寄付の米に名前を書いていた。みんなで囲って撮影。
 結構な回数、本部に顔を出しているからなんか俺もハマさんも浸透した感じがあるね。意外とおっさん連中に憶えられているわ。それと外人だからって、今回は俺とハマさんにだけ100周年の特別お守りをくれたし。
 知らない隊員とかも日本人だからって結構話しかけてくる。今回はホンダの社長夫人の運転手をしていたという兄ちゃん。こいつがまた『行け! 稲中卓球部』の新入生勧誘と八百屋キラーの回で出てきた田原年彦にそっくりで。俺は結構仲よくなった。
 それから、夕方あたりになって、本部のおっさんが俺らに絡んできた。で、そのうちハマさん弄りに方向がシフトされたから、逃げた。ハマさんは平均年齢が45くらいのおっさん十人くらいに360°囲まれてしまった。米担いで戻ってきてもまだ囲まれているし、2回目の担ぎ(客が来ないから1回目からしばらく時間があった)のあとも囲まれてて。2回目終わったときはハマさんがまっすぐ俺のことを見て、なんとかしてくれ、って顔をしてたから、水を飲みに裏に逃げた。危なかったわ。
 17時には帰ろうと思ってたけど、結局19時までやった。といっても18時以降俺らしかいない感じだった。
 夕飯はこの前の赤服騒動で燃えに燃えた辺りのタイ料理屋に。センチュリー・ホテルの向かいのレストランに。久しぶりに来てメンバーは全員替わってたけど、うまかったわ。
 金がなくてハマさんにそこ分を借りた。で、帰り高速の乗ろうと思ったら高速料金分もなくて下で帰った。大雨で、シーナカリンはかなり危険だった。でも、シーコン前辺りからは全然雨が降ってなくてからっからに乾いてた。アムには雨で時間がかかったって言っても信じてもらえなかった。