バンコクとタイ家族のこととくだらない話と

タイ在住歴20年のライター・高田胤臣の個人的なブログ

2008年俺的最良事

来年もよろしく。

 毎年恒例で書いている、自身の1年間を振り返って。
2005年 http://d.hatena.ne.jp/Tan-BKK/20051130
2006年 http://d.hatena.ne.jp/Tan-BKK/20061129
2007年 http://d.hatena.ne.jp/Tan-BKK/20071101
 2005年、2006年は11月末に書いているのに、去年に至っては11月1日に書いている。何もないんだな、俺。
 というか、今年も11月の初めには書こうと思ってたんだけど、引っ越しの関係とアパートのネット環境がひどいことになってたので、今日やっと書ける状況になった。
 この書き込めない間にちょっと勉強して、写真をいっぱいアップできるようになったので、早速今回大量アップしてみたい。


 とりあえず。
 今年もいろいろとありがとうございました。
 このブログはためになることもおもしろいことも、そしてバンコクに興味がある人のためのなんの情報もありませんが、自分としてはまだまだブログのスタイルを模索中ですので、来年、いや再来年、もしかしたらもっともっと遠い未来に、続けていれば、何か方向性が変わるかもしれません。
 ということで、来年もよろしくお願いします。


 さて、今年を振り返ってみてのランキング。
 結果を先に言うと、あんまり変わり映えのしなかった1年で。ネネくらいだなぁ、本当の俺の楽しみは。


第10位 激突王子様誕生
 1月30日に事故った。
 怒濤の正面衝突。
 仕事が忙しかった上にアムとのけんかと季節外れの大雨が重なり、ケアレスミスでハイドロプレーニング。
 カーリングのようでした
 本気で会社を辞め、離婚しようと土砂降りの雨の中で思った。夜、自宅にまっすぐに帰らずに、ハマさんを誘って飲みに行ったのは、本気でそう思ってたから。会社はその前もそれ以降も辞めようと本気で思っているので、別に事故は関係ないが。
 これ、ベスト10じゃないね。ワーストだね。ワーストがベスト10に入るって、どんだけ何もなかった1年だったのか。
 しかし、幸いにも相手も俺の方もけががなかったからホントよかった。

 ↑こんなんにならんでよかったよ、ホント。
 事故の話は下記で。
http://d.hatena.ne.jp/Tan-BKK/20080130


第9位 健康
 健康診断で2007年よりいい結果になった。
2008年 http://d.hatena.ne.jp/Tan-BKK/20080521
2007年 http://d.hatena.ne.jp/Tan-BKK/20070509
 ネネのためにも健康でがんばっていかねばならないので、これからもこの調子でどんどん健康体になりたい。
 たばこも完璧にやめたし、酒の量もかなり減ったし、あとは痩せるだけ。

 写真が暗くてよくわからないかもしれないが、メッセージをくださっていたA.I.さんが撮ってくれたもので、ほかの人には普通の写真かと。ただ、俺にはちょっと衝撃の一枚で。
 というのは、左端の彼は最近入ってきた隊員なのだが、俺の目からはすんごい太ってるなぁ、と。
 写真を見たら、俺、そんな変わらないじゃない、彼と。
 これはやばいぞ、と。右のハマさんと全然違うじゃないか。
 引っ越しと年越しを機会に本気のダイエット宣言をします。マジ。ええ、マジです。これに関してコメントは決して寄せないように。


第8位 ひつまぶし
 日本に行った。名古屋。空港だけ、数時間の滞在だったが。
http://d.hatena.ne.jp/Tan-BKK/20080706
 しかし、日本はいいねぇ。ホント、いろんなものを売っているし、食べ物はおいしいし。
 ひつまぶしを食べた。うまかった。
 本屋も小さかったが、何しろ最新の本が揃っているわけだから、なんかよかった。

 写真はひまつぶしに行ったルンピニ公園でのひとこま。
 アムが手を握っているが、恥ずかしい。
 昨日アムの母や妹らにネネをあずけて買い物に行ったんだが、久しぶりにふたりだし、手を握ってみようと思ったが恥ずかしくて手首を握ってしまったよ。それもすぐに放したけど。アムも、何、今のは、だって。そりゃそうだ。
 もう5年近く一緒にいるもんな。今回引っ越してくるまではスタジオタイプの部屋で、常に視界に入っている状態で一緒にいたんだもんな。離れたのってアムが姉の家とかに泊まりに行っているか、用事で田舎に帰っているか、もしくは俺が出張とかで海外に行っているかくらい。最長でも3泊くらいだもんな。ホント「ずっと」一緒にいるって感じ。そりゃ、手もよう握らんわい。


第7位 レスキュー継続
 なんだかんだ言って、元々タイに来た理由がレスキューであり、こうして、制服に袖を通していることは、自分にとって大切なことであり誇りであるので、やっぱり続けていくだろうと思う。

 もうなんだかんだいって、4年もやってるなぁ。
 いろいろな人が入ってきて抜けていった。
 言葉もわからないなりに、タイのローカルコミュニティーに入っている自分にもえらいと言ってやりたい。


第6位 心の妻、蔡依林からの返事が!?
 未だにないという話。
2006年 http://d.hatena.ne.jp/Tan-BKK/20060915
2007年 http://d.hatena.ne.jp/Tan-BKK/20070915
2008年 http://d.hatena.ne.jp/Tan-BKK/20080915
 3年も連続で書いているのに、未だに依林ちんは俺のことをみつけてくれない!
 まあ、来年あたりに期待しろということかと。そういうメッセージなのかと。
 依林の焦らしテク?
 請説愛我!

 最後の手段としては、エンターテイナーの素質が、親ばかだが、ネネにあると思っているので、台湾デビューをさせて急接近。どう? このアイデア


第5位 刺青
 今年も入れました、刺青。
 それも、念願のお寺の刺青。
 痛かった。とにかく、痛かった。
http://d.hatena.ne.jp/Tan-BKK/20081117
 近々、また入れようと思うのだが、アムが許してくれるだろうか。

 背中なので自分ではよく見えないのが残念。
 生まれつき右の肩がちょっと下がっているので、なんか曲がって見えるけど、刺青自体が斜めになっちゃってます。って、だめじゃん・・・・・・。
 いや、でも、うれしい。念願だから。
 刺青は後悔しないのがコツ
 うれしいったらうれしいと思うこと。それが大事。


第4位 引っ越し
 ついに念願のマイホームというかマイマンション。コンドミニアムを購入。
 今年の3月頃に入社したタイ人の営業が顔が広く、外国人でもローンを組めるように銀行のマネージャーを知っているから相談してあげると前々から言われてて、7月のある日、コンドミニアムの広告とか持ってきて紹介してくれた。
 そんで、俺もアムもだんだんその気になってきて、あれよあれよという間にコンドミニアムのオーナーになった、アムが。やっぱり法律上、俺名義にはならなかったが。
 この件に関しては後日じっくりと書きたい。これは役に立つ情報ではないかと思う。たぶんだが。

 写真のようにキッチンもあるので、バランスのとれた食事と、公園もあるので、適度な運動で健康体になりたい。
 テパラック通りという、東京で例えれば川崎辺り。それも、テパラックの奥の奥。往復で70km程度の距離が通勤距離になってしまった。
 朝7時に家を出て、7時半から45分の間くらいで到着。
 これならもっと遅く出てもよかろうと思うのだが、如何せんバンコク。7時10分より遅く出ると大渋滞で始業時間に間に合わない。
 なんとかいい方法はないだろうかというのが目下の課題。


第3位 ウルトラライトプレーン(ULP)
 夢が叶った
 多くの男子が一度は夢見るパイロット。
 今年の4月7日、アユタヤにある飛行場で、ついに念願の操縦桿を握った。
http://d.hatena.ne.jp/Tan-BKK/20080407
 これからは毎週行って教わろう!
 なんて思ったが、やはり貧乏人。なかなか暇なし、金なしで。
 結局その日と皿井タレーさんとソンクラーンに2回行ったときと8月の頭にお伺いしただけ。
 もっと行きたいのだが。

 広い空を悠々と飛ぶULP。一度自分で操縦桿を握ってみると、地上から見上げる空と飛行機が身近に、そしてまたひと味違ったものとして見えてくるから不思議だ。


第2位 メディア
 タイの雑誌「まるごとタイランド」のNo.100+08にネネの出産に関する記事に取り上げていただいた。
 それから、最終選考に残ったエイベックスのシナリオ大賞は残念ながら落選。
 しかし、6475本の内の数本に選ばれたということでとても大きな自信となった。
 それ以降、それを活かすようなことは何もできていないんだが。
 いつだったか、アメリカのちょっと有名なドキュメント映画監督が世界中の夜働く人々を取り扱う映画を撮るということで、とある人からタイ側の話が入った。その人がレスキューを推してくれて、活動内容などをまとめて書いて送った。
 最終的には制作費が集まらなくて企画段階で頓挫しているようだが。

 さて写真は再びA.I.さん撮影のもので、これはデジカメではなくテレビカメラから抜き取った画像。
 そうです、我々、テーン君とハマさんは近々日本のテレビにデビューします。予定だけど。ニュース番組の10分程度の特集枠に、ということらしく。日程などはまだ決まっていないので、決まったらそのときにまたブログで報告します。
 ブログで書いてあるよりは意外とまじめに救護活動しているし、ブログで書いてあるほどてきぱき動けていないからみっともないけど・・・・・・。なんて先にエクスキューズを。
 レスキューを続けていたことで、そしてこのブログを書いていたことで新たな出会いもあって。タイに来ていろいろなおもしろい話が入るようになったり、日本やタイで有名な人やマスコミ関係、ライター関係の人と話す機会や知り合う機会があったので、やっぱりここが、死語的な言い方をすれば、居場所なのかもしれない。


第1位 ネネの成長
 もうこれしかない。
 最大の、最愛の存在はこのひとりです。

 あの日からもう2年も経ち、ここ数日は言葉の数の増加もすごい。
 よくわからないんだが、日本語だと単語単語から文章になるのに「は」とか「が」とかも混じらなきゃならないわけだろうけど、それらも含めて喋った喋らないになるのかな。
 タイ語とか英語とか、そこはいらないじゃない?
 2、3日前まで単語だったけど、今日とか普通に「パ、パトー(パァーット プラトゥー)」(ドア開けて)って言ってるし。
 あと、近所のスーパーにあるアスレチックにアムの母親が連れて行ってしまって、帰りたくないと。で、最終的にアムが切れて連れて帰るとなった。ちょうど縄ばしごみたいなのをおぼつかない感じでよいしょよいしょと上っていたんだが、ちらっと振り返って走ってくるアムの顔を見た瞬間、ネネちゃんはそのはしごを駆け上がった。まんがみたいだった。
 とにかく、ネネが生まれたことで毎日が楽しくなったし、満ち足りた人生になったと思う。
 これからもネネもアムも健康で元気にいてくれればと思う。


 という1年でした。