バンコクとタイ家族のこととくだらない話と

タイ在住歴20年のライター・高田胤臣の個人的なブログ

アランヤプラテートとYoshi宅とレスキューと

会議だけ

 またカンボジアとの国境アランヤプラテートへ。
 朝5時に起きて身支度を調えて出発。昨日焼き肉屋に連れてかれて帰りが遅くなったので、5時間弱しか寝られなかった。しんどい1日になりそうだ。夜はレスキューのミーティングがあるので絶対に行かなければならないし。
 Yoshiさんは遊びがてら行きたいと前々から言っていて、今日やっと。
 暗いうちに出発して、いつも通り8時半ごろに到着。今回はいつもより駐車場が空いていて、いつもチャリンコを借りるところに近い場所に駐車することができた。ただ、日本人の運転マナーがこんな俺にも少しは残っていて、だだっ広い駐車場、しかも線で区切りもしていない上に自由に停めるタイ人らに戸惑い、一瞬どこに停めていいのか考えてしまったが。
 今回は目的があって、七分袖Tシャツ、カンボジアの布、軍物かばん、サンダル、スウェットの上着などを押さえておきたいと。すでに2回も下見をしているので比較的早く目的を達成できそうだと。午後一にはSさんもアランヤに来るということで、プロの仕事を見せてもらいたいし、それまでにこちらのことは終わっていればと。
 朝食を食べて、探索開始。
 以前来たときに布の値段をたまたま調べていたが、今日最初にみつけた店は4倍。卸価格でも2.5。これはまずいことになった。計算外のハプニングだわ。そういえばSさんも、日本のバイヤーが季節に合わせてストール関係などを買い漁りに来るから日本の季節に合わせて価格が変わることもある、と教えてくれてたっけ。そういうことなのだろうか。
 仕方がないので周りながらみつけたら買おうと。
 今回最初に買ったのはサンダル。ビルケンシュトックの。でもサイズがなくて、27cm前後のでまともそうだったのは2足のみ。ほかは全部30cmオーバー。長さはだいたいだけどね。右手を思いっきり広げて直線上に置くと親指の先から中指の先までがジャスト20cm*1。それで測って。交渉してそれぞれ50バーツずつ安くしてもらって購入。
 それからぶらっとしてたら布発見。言い値が調査と同じ価格。品質もいいし、卸価格でさらに40%引きで即決。色をいろいろと指定したり、色で枚数を変えて総額からさらに値引きに成功したけど、結局在庫の枚数が揃わなくて。しかも1束10枚の中に変なやつが混じっていたり信用ならない。購入することにした150枚全部再チェック。

 9色か10色くらい買った。
 交渉している最中、ハマさんに話しかけるおっさん。サングラスを売りつけようと食い下がるカンボジア人。よく見れば前回NさんYさんとハマさんの4人で来たときの昼食時にNさんに食い下がってた人だし。
 買い物終わって移動しようとしたら、デビに会った。絶対にどこかの角で会うだろうと思っていたが、まさか向こうからみつけてくれるとは。ちょっと話しただけでつきまとわれはしなかったが。やはり俺らだけにつきまとっても仕方がないことはわかっているのだろう。Nさんがいてはじめてやつは俄然やる気を出すのだ。
 それからスウェットの上着を買おうと思って、前にハマさんが行った店を覗いたが今回はなかった。古着なのでどうしても1点物になっちゃうんだよね。けど、AirWalkのがあったので購入。単品だったから高いのかしら。それでも日本円で1000円しないけどね。

 それから衝動的にアロハを買ってしまった。

 全部で13枚。これも古着で1点物。
 今回の目的は姉のフリマに便乗だったわけだが、秋・冬物に入るっていうのにサンダルやアロハを買ってどうするんだ、俺。タイも8年目に入っているから、やっぱり日本の冬っていう感覚が記憶にない。さらに、今日は朝は曇っていたものの、晴れてしまって暑くて暑くて。
 でも、アロハは季節が来ればいけるんじゃないだろうか。
 アロハを買ったあとに、Yoshiさんハマさんは女の子用にワンピースみたいなのを買ってた。1枚80バーツ。朝からマネキンのエロさにテンションが上がりっぱなしの3人であったわけだが、アロハ買っている辺りで薄っぺらくてエロい感じのをみつけて本気で選びはじめるふたり。なんか男も35歳を超えると、今の俺には届かない域に達するんだと思った。襟あり襟なしの2枚ずつ買ってたし、ハマさんはそのほかにも計5枚くらい買ってたし。なにより、Yoshiさんの初めての買い物がそれっていうのもどうかと・・・・・・。
 そのあと、ニットの帽子を買った。これも古着なので4つだけ。

 こういうやつ。大阪行ったときだったか、こういうの被っている女の子が多かったので売れるのではないかしら、と。でも今こうやってこれを書いてて思ったのは、俺、この前行ったのって7月じゃんか。本当に見たの? と。
 これを買っているところでSさんが到着したということで合流。
 Sさんご自身の仕事はだいぶ片付けてしまったらしいので、ちょっとお願いして、まだ買っていない軍物ショップを案内してもらう。

 そこで買ったのがこのかばん。砂漠迷彩、黒、カーキ色と3色あったうちの2色を2つずつ購入。これはかなり安いが、別のタイプは生地、ジッパーなどクオリティーが高くデザインももっといいんだが、その替わりこのかばんの4倍以上の値段。アランヤでもいいものは高い。
 ご家族で来られていることもあって、Sさんとはちょっとお会いしただけになってしまった。来週はそれこそSさんの仕事に便乗しようかという勢いで期待と思っている。
 七分袖のシャツは諦めた。というのは、サイズがいまいち。カンボジアの救援物資が名目となっているため、集まってくるアメリカなんかの関係でサイズが大きかったり、裾が長いタイプだったりといまいち。もちろん探せばあるんだろうけど、シャツよりは布をメインに考えはじめていたので諦めた。
 そして帰路へ。駐車している真ん前に停めたトラックがサイドブレーキを引きっぱなしで行ってしまい、出すのに苦労する。タイの常識は、ちゃんと区切られたところ以外では基本的にギアもニュートラルでサイドブレーキは引いてはいけない。特に縦列駐車では絶対にやってはいけない。
 男3人ぶらり旅だと迷言やらハプニングが起きるもので。
 この往復の半分以上を占める国道33号線(?)は片側1車線ずつなので、対向車がいると追い越しがかけられなくて大変。行きは早朝なので対向車はほとんどないが、帰りは対向車だらけで時間がかかる。前回もかなり時間がかかったし。それに関して33号線上での俺とハマさんの会話。
ハ:やっぱり追い越しかけられないから時間かかるし、今日も遅くなりそうだね
テ:そうですね。でも、前回よりちょっと早い時間ですし、もしかしたら早いかもしれないですよ
ハ:・・・・・・
 見たら寝てた。
寝てるし!
 心の底から叫んだよ。会話の途中で瞬速で寝るかね、普通。せめて会話が終わってからにしてくれよ。
 それから雨が降ってきて、やべぇ、激突王子が王様に即位か、なんて話をハマさんとしてて、王子にシーザーにが乗っているなんてなんて高貴な車! とか笑ってて。じゃあYoshiさんはなんだろうかと話をし、援交天皇と名付け。先日とあるタニヤのカラオケの女の子と店が終わったとに飲みに行き、手だって握っていないのに帰り際に1000バーツ要求されたそうで。今までのYoshiさんならちゃぶ台をひっくり返さんばかりに怒ってたはずなんだが、わざわざATM探してまで払ったそうだ。なので、援交天皇。で、そのあと対向車の無茶な追い越しには、この野郎! 援交要求か? とか、ATM探すぞこの野郎! とか天皇弄りに。たぶんこの弄りはあと2年くらいは引っぱると思う。






 バンコクに戻る途中でアムに電話。そのときにみんなが外野から「カプチーノ!」という声が。しかりアムにも届き、怒られた。
 このあとしばらくカプチーノがホットに。アムに、ご飯食べた? とかネネちゃんをよろしく、も、カプチーの飲んだ? とか、カプチーノよろしく、とかに変換。茶色い犬が飛びだしてきて、カプチーノ色してんじゃねぇぞ! とか全部がカプチーノに。
 夕飯はトンローのJアベニューにある大戸屋に。レスキューのミーティングに出るのに一度家に帰ってしまうと辛いので、Yoshiさんのところで休むつもりで夕飯をバンコクで。大戸屋はいいね。安心して食べられる。新メニューの鶏の竜田揚げとポテトサラダとかなんとかいうやつに納豆を付けて。ご飯3杯も食べた。
 Yoshiさん宅ではハマさんとYoshiさんとで日本対オランダのサッカーを観るということだったが、ハマさんは速攻で寝に入った様子。俺も寝るつもり満々で来たのだが、日本のエロ本を見せてもらい、隅から隅まで2回も読んでしまった。それでもいつの間にか眠ってて、起こしてもらったら22時半だった。
 面倒だがレスキューに行かないわけにはいかないので。







 なんか知らんが今日の23時からミーティングだということで行ったんだが、案の定来てない奴とかいるし。
 で、真夜中入ってからやっと開始。
 ミーティングまでの間、今日はなぜ私服なのかということで説明を何人にもしたが、タイ語が下手=タイ語が子どもレベル=人間的にも子ども、という感じになっているのか、レクチャーしてくれる人多数。それももうすでに我々で初期段階に調べた済みの件ばかり。疲れているのもあって、正直、がっかりした。
 ミーティング内容は隊員証の更新など。
 ミーティング終了後即帰宅。
 生脚パトはなかなかの好成績。感動的ですらあったのはやはり早い時間帯なので横丁か。
 ああ、とか、おお、とかの感嘆詞ばかり。たぶん1年後くらいには猿レベルの発声で、その感嘆詞のみで会話ができるようになっていると思われ。これを、言語のデジタル化、とか、生脚言語の起源、と命名したい。

*1:19、20歳のころ海洋環境調査会社に勤めてて、そのときに、特に建築系の、潜水士はゴミが舞ったり光りが届かないところでの作業で目を瞑った状態で正確に計測をしたりしなければならず、自分自身の体のパーツの長さを知っていると。それで俺も憶えておこうなんて測って、実際に使って憶えているのがこの20cmだけ