バンコクとタイ家族のこととくだらない話と

タイ在住歴20年のライター・高田胤臣の個人的なブログ

サポート

 この話、書いたかもしれないけど。
 この前アムがなんかのときに「サポート」がなんちゃらかんちゃらと言ってた。
 サポートって言葉を聞くとさ、ひとつ思いだすことが。
 アムと知り合う前の話なんだが、伊勢丹の前で乾季に入って始まるビアガーデンで知り合ったチアビア。ビールのキャンギャルね。当時は乾季に入ってすぐ始まってたころだから、11月から2月頭くらいまで。今は数年前の爆弾事件とかの関係か、12月に始まって年越し前には終わっちゃうけどね。当時は長かった。アパートも近かったから、ほぼ毎日行ってた。
 あのころはタイにもカールスバーグがあって、ワートレに向かって右からカールスバーグ、ビアシン、ハイネケン、であとなんだっけ。クロスターとかマイナー系だったような気がする。その中でカールスバーグの女の子が毎年かわいくて、声かけまくってた。
 その年はオープン初日に行って、初日に向こうから声をかけてきた。背の高い女の子。かなり積極的に話しかけてきてくれて。で、トイレ行って戻ってきて、通路で話しかけたら無視された。当時はツンデレとかそんな言葉なかったし、ええ!? となった。席に戻ってYoshiさんと喋ってたら、また話しかけてくるの。なんだ、この子と思ってたら双子だった。その数日後Yoshiさんを巻き添えにしてMBK行ったら「テーン、結構チビだよね」的なこと言われるわ、ディスコのハリウッドで奢らされるわの最悪な目に。双子と一緒についてきた友だち含め3人とも175cmオーバー。ふざけんなよ。元々背の高い子は「あまり好みではなかった」が、この一件で「嫌い」になった。
 その後も懲りずにビアガーデンに通い、何人か仲良くなったが、その中のゲームちゃんにハマった。Yoshiさんと国王誕生日の連休中にサメット島に行き、帰りにビアガーデン直行したくらいハマった。ちなみに、サメットは、行ったらホテルの空きがなく、帰りのボートもなくなり、どこかのゲストハウスのテントを借りて浜でキャンプ。最後、気に入っちゃって2泊3日をテントで過ごした。
 それで、12月の半ばか下旬にデートの約束を取り付けた。ロッブリー県のひまわり畑を見に。したら、大学なのか高校なのかの友だちがわんさか来て、また奢らされる羽目に。当時手取りで21000バーツくらいしかもらってなかったから、ビアガーデン通いですでに金がなかった上にこんなことになって金が完全に底をついた。確か20日とか給料日直前だったんだよね。
 帰りの乗り合いバンを待っているときに、私たちは付き合っているわけだけど、という切り出しでゲームちゃんが言い出した。ついに素人の彼女が! なんてその瞬間は舞いあがった。だいたい素人玄人と言ってる時点でおかしんだけどね。
「あと2年大学が残っているんだけど、テーンは私をどれくらいチュアイ(助ける)できるの?」
 なんだそれ? 金っていう意味か?
「そういう意味ではなくて、恋人ならサポートしてくれるのが当然でしょ
 結局、金やんけ。
 で、ラムカムヘンの彼女のアパートに送ったら金がなくなって、10バーツだけ借りて路線バスで帰った。
 それっきり。
 一切連絡が取れなくなった。
 その日以来チアビアも辞めたし。体調が悪いとは言ってて、話では入院してたみたいだけど。
 サポートって聞くと、悲しくなる。
 金がないのはだめってか。確かに当時は金がなかったさ。アムにも今でも言われるが、テレビも冷蔵庫もない、保冷バケツと洗濯だらいと扇風機しかない部屋を見て逃げない女は私くらいだ、って。まあ、確かに逃げたいわな。でも、ゲームちゃんは俺の部屋見てないけど。