バンコクとタイ家族のこととくだらない話と

タイ在住歴20年のライター・高田胤臣の個人的なブログ

実は

 いろいろな人にこのブログを読んでもらっている中で、取引先の人も読んでいる人がいる。なので、今、ここで書くタイミングなのかわからんけど、一応書いておくと、会社辞めます。正式に連絡をするのは3月の中旬以降だろうか。
 理由はいくつかあって、結局今まで散々こき下ろした上司への嫌悪はただのきっかけにしか過ぎず、崖っぷち人生の中で飛び降りるのは今しかないと判断したので、今日辞表を出してきた。実際に会社を去るのは3月末か遅くともソンクラーンまでか。
 思いついたらすぐやってしまうので、ホント、先週の火曜に思いついて、水曜日には一応口頭で伝えて、という感じで。
 きっかけは自分でもびっくりするような些細なことなんだが、有給の申請を出したときに「休むなというわけじゃないが、タイ人でも有給を取らない人がひとりふたりいる中で、高田が休むのはおかしいと思われると思わないか?」と言われたこと。意味がわからなくて、マッチの火ぐらいの大きさはあったやる気が完全に消えた。
 でも、後付けの理由というわけじゃなくて、結局こいつへの恨みなんかはもうどうでもよくて、自分の歳、これ↓が出たタイミングっていうのがやっぱり足を崖下に踏み出した大きな理由というか。

 結局、宣伝入れてしまっていますが、とりあえず、本↑、よろしくお願いします。
 で。
 今年の5月で34歳。この前日本の支社から来た営業担当者は俺と同い年。ほかにも年が近かったりする人が取引先とかにも何人もいる。みんな前向きで、仕事に熱意とか誠意を持って取り組んでいる。知識や技術も長けている。俺なんかなんもないよ。俺は今の会社に入ったのは前の会社が潰れて金がなくて登録しに行った人材派遣会社に紹介してもらったってだけ。10代のころから書く仕事をしたいというのが夢でそれは今も変わらない。だから結局のところ、この仕事に携わった人の誰もと向いている方向が違っているのではないかと、そういう申し訳なさをずっと持ってた。会社のヌクさんやO君などともまったく違うベクトルで働いているので先輩というつもりもないし、ただ前からいるってだけの俺自身になんかみっともなさを感じてた。こういった姿勢だったからたぶん上司のくそみたいな人間性ばかりに注目してしまってたのかもな。もっと前向きだったらそんなことにこだわっている時間なんかなかっただろう。
 ふとやる気がなくなってから、じゃあ辞めてからまた就職活動するのか、と思ったとき、たぶんまた同じことを繰り返すと思った。ならば、今34でこの崖から飛び降りてみて、もしかしたら飛べるかもしれないじゃんか、と。飛べるか飛べないかは飛び上がってみないとわからんし、たとえ飛べなくて墜落しても、仮に40歳で同じことをするよりも怪我は少ないんじゃないかな、って。40歳で同じことをすると、進むにしても戻るにしても、どちらにしてもできないわけじゃないが少なくとも今やるよりは厳しいのではないかと想像する。
 ちょうど皿井さんに声をかけてもらえて本が出版され、夢がひとつ叶って、それもホントつい数日前の話で旬な状態なわけで。今ここで、本が出てラッキー、なんて思いながら会社の日々の業務に追われては、結局旬も逃げちゃう。最低でも今年の12月まではこの会社に居座っていようと年始のときは思ってたけど、いざ本が出たら、そんな悠長なことを言っている場合じゃなさそうだった。年末には旬もなにも、本を出したことすら世間に忘れられてしまう。そうしたら、12月に飛び降りるときは飛ぶのに使える道具すらないことになる。
 ならば、絶対に、今しかない。西新宿の飲み屋のおやじの口癖だ。やるなら今しかねえ。
 というわけで、辞めることに。なんだかんだで5年半、この会社にいた。サラリーマンなんて、ってばかにする気持ちもあったけど、そういう自分の考えを覆してくれた人たちがいっぱいいた。散々愚痴を書いてきたけど、出会いっていうのがあって、きっと今後の糧になるだろうと思う。
 4歳の娘と身重の妻を抱えての無職。ホント、崖から飛び降りる雰囲気満点でいいね。M的にはシビれちゃう!
 まあ、貯金がまったくないのでほんの数カ月間だけだけど、とにかく自分のやりたいことを全力でやってみて、完全に墜落して砕け散ったら身も心も入れ替えて、どこか雇ってくれそうなところに頭下げて回ります。
 さて、どうなるか。ブログが更新されなくなったら、終わっているんだな、と思ってください。
 では。