バンコクとタイ家族のこととくだらない話と

タイ在住歴20年のライター・高田胤臣の個人的なブログ

空港と営業と取材と

取材

 父の帰国はユナイテッドなので、朝5時ごろに起きて家を出る。
 来たばかりのころに携帯を買って、目覚ましをセットしてあげた。父は、目覚ましがなくても起きれると言ってたわりには、学校に行くときとか10回中半分は俺は起こしてたし、今日も帰国の日だというのに5時に出発と言っておきつつ、5時にまだ寝てたし。
 朝早いんでチェックイン自体は早いんだけど、イミグレが見たことないくらい混んでた。ここのところ、なんか評判悪いね、タイのイミグレは。
 ネネは泣くかと思ったら飄々としていて、バイバ〜イって普通に。
 で、昨日の夜に、姪っ子らにおみやげをって持ってきてくれたアムの姉も泊まって一緒に空港に来ていて、帰りは新しい電車のエアポートラインだっけ? あれを使って帰るので、駅まで送った。と言っても空港の地下ね。
 姉が切符買って改札を入ろうとしたら、行かせないとネネが泣き出す
 いやいや、泣くところ間違っているし!






 家に帰って少し寝て、本の営業に出かける。今日明日と有給休暇。この2日間でできることはやり尽くす!

 もうしつこいかな?
 タイ国内では販売先がまだ決まっていないので、そこはタイ在住の俺の仕事、ということで、3軒ほど献本させてもらって回った。
 真ん中の1軒は以前勤めていたフリーコピーのグループ会社。そこのYさんが俺の名前を憶えていてくれてわざわざ電話をくださった。ここの社長は「漢」と書いておとこと読む、みたいな人で、タイで一番に尊敬する日本人。会社がなくなってしまってからいろいろと心配してもらったけど、時間がなくて会えなくなってしまって、そうしてさらに時間が経って行きづらくなって。どんどん疎遠になってしまって、今回、本が出たことを真っ先に伝えたい人だったが、なかなか踏み出せないでいた。そんなところにYさんが電話をしてくれたので、ホント嬉しかったなあ。
 社長は忙しくて会えなかったのでYさんと雑談もしたんだけど、懐かしい。あのころは喧々諤々やってたわけだけど、いい思い出だ。今考えてみたら、そのころから社長もYさんも俺らのことを気にかけてくれてたんだなあ、と。あのころはそう思ってなかった。2/28のブログにも書いたけど、色々な出会いがあって、そういうのが大切なんだな。自分の知らないところで気にかけてくれる人がいてくれたり、力を貸してくれたりさ。人間、周りに生かされているんだな。
 最初の1軒目は内容的に厳しそうだったけど、Yさんのところでは前向きに検討してくださるということだし、3軒目も感触が良さそうだった。タイでも売れるといいなあ。








 夜はレスキューの取材。どうもチャンネル7のケーブルテレビのメンバーが、あのときは、日本人? 別にぃ? みたいな感じだったのに、今度はケーブルじゃない方、地上波の方の取材したいって。日本人クローズアップでって。
 夕方過ぎから大雨だったので、大丈夫かいな、と。
 一応止んだので21時過ぎくらいに出発。ちゃんと生脚パトも。ウィパワディー・ソイ2、すごいわ、ここ。あと、ホワイクワン市場は夜中3時前後もすごいけど、21時台も結構いけているということがわかった。
 待ち合わせのGSについたらもう撮影班は来てて、俺が車を停めるところから撮影。寄せすぎてドアを隣の車(って彼らの)にぶつけるところや、ドアと隣の車の間が狭くてドアに挟まるシーンまで撮られた。
 で、現場の画がほしいということで、ぎりぎり隣のチームの管轄の事故現場に。
 セントラル・ラートプラオ*1前の、ウィパワディ-ランシットからパヤタイ通りに抜けるバイパス上での事故。セメントを運ぶ2連結のタンクローリー(でいいのかしら?)のうしろに突っ込み、壁に挟まった乗用車。けが人がいなかったっていうのが信じられないくらい地味に派手な事故。


 車から降りるシーン、現場を見るシーン、そんなところを撮ってもらう。あと、いつもの笛吹きのシーンも。マヌケ面で吹いているところを撮影。あとで映像を見せてもらったが、スンゲェきれいに撮れてた。
 7チャンの朝の番組でやるみたいだけど、いつなのかはまだ決まっていない。11日もまた撮影があるみたい。
 なんか、Mr.お蔵入りって思ってたけど、なんか、結構放送満々な気分でやってたよ。これ、ひょっとしてひょっとすると、Mr.お蔵入りって俺じゃなくてハマさんなんじゃね? ハマさんもこれまでのは全部一緒に出ているからね。

*1:只今改装中