バンコクとタイ家族のこととくだらない話と

タイ在住歴20年のライター・高田胤臣の個人的なブログ

ロイクラトン

 急に仕事が入ったので、夜バンコクに出た。ついでにOくんに連絡して、トンローの焼肉で食事。スマホの使い方を教えてもらい。
 エンポリの横の公園に行ったんだが、人がいっぱいいた。でも、例年に比べたら少ないんだろうな。ステージで歌謡ショーもないし。チャオプラヤのラマ何世かの橋の下では祭りやっているって言ってた、タクシーの運ちゃんが。アソークを南下した橋で、対岸に農民銀行のビルが見えるところ。
 それ聞いて思い出したけど、初めてのロイクラトンはそこだったな。カウボーイのティーラックにいたワンちゃんと行った。ワンちゃんに、クラトン(灯籠)がずっと沈まずに流れて行ったらふたりの関係が長く続くんだよ、って言われた。ろうそくを点けた灯籠をふたりで持ってお祈りして、河に流した。手を離した瞬間にひっくり返ったよ
 あと、ロイクラトンの思い出はタニヤのエーンと別れてだいぶ経ったときに、タイ語学校時代に住んでいたアパートの従業員の子たちと行った。シープラヤの船着場。ここはパッポンやタニヤの子がわんさか来る。知ってたけど、7時くらいだったし、別にふたりっきりで来るわけじゃないからな、と。当時は遊んでたからそういうの気にしてた。で、エーンが客と来てたんだが、客無視で俺をガン見してんのよ。突き落とされるかと思って怖かった。そのあと、ラマ4の奥のローカル飲み屋にその子たちといたら、玄関がバンと開いて、見たらエーンが立ってた。怖かったな。なんでわかったんだろうか、今でもわからない。
 アムとは最初はルンピニーだったと思う。ここも夜のお嬢さんが多いけど、まあ、もうそんなことは気にしてないしね。ひっくり返りもしなかったけど、池だから流れても行かなかった。8年9年一緒にいて、妊娠してから行ってないとしても2回か3回はロイクラトンの日があったんだよね。全然、憶えてない、どこ行ったのか。っていうか、それ以外の思い出が強力だから。
 ネネが生まれてからも危ないからって行ってなかった。幸い、今の自宅の敷地に池があって、出店も出るのでそこで毎年。と言いつつ、今日初めて見に行ったけど。最初の年はそんなに盛り上がってなくて、ネネも3歳になる前だから行かなくて、近所の友だちやハマさんと行った。今年は洪水の関係か、みんなここでやるって感じでいっぱい人がいた。
 エンポリで熱気球みたいな灯籠をやっている人がいっぱいいて、女の子4人組の写真を撮ってたら、一緒に流しに行くかって言われた。乗り気になってたら遊びに行けたのだろうか。
 バニラに行ったら女の子が洪水で田舎に行ってて少ないと言われ、店長もいなかったし、ノボテルの横のバーに行った。10年以上前だけど、KENさんとかと1回行って高かったからそれ以来来ていなかった。外にかわいい子いたから入ったんだが、思ったほど高くない。でも、最終的にふたりで4000バーツも行った。やっぱ、そういうのは忘れないもんなんだね。いろいろとチャージがかかってた。あと、女の子も結構飲んでた。ただ、女の子はすごくよかった。かわいかったし、礼儀をわきまえてた感じ。
「これからはタクシー代払ってもタニヤだよ。さいあいだったら4時間いれるよ、これ」
 とはOくん、店を出てからの最初の一言。基準がさいあいってわかんないけど、でも、確かに。
 ヴィラマーケットでふたりで食材見ながらああでもないこうでもないと話して、帰宅。