バンコクとタイ家族のこととくだらない話と

タイ在住歴20年のライター・高田胤臣の個人的なブログ

今朝のこと

 今朝、メールボックスを開いたら、父と姉から別々にメールが入っていた。
 母方の祖母が亡くなった。
 先月、祖父が100歳を目前に亡くなった。ふたりは介護の状態が違うために別々の施設にいた。しばらく会えないままだっただろう。人生というのは不思議だね。偶然なのかもしれないが、夫婦というのはときにリンクするものなのだな。
 去年の4月に日本に行ったときに、最後かもしれないと祖父母に会ってきた。本当に最後になるとは。会っておいてよかった。


 祖父母の死去や、レスキュー活動で死んだ人を見ると、生きているっていうのが不思議だなと思う。俺なんか、19歳のころはタイに来ようどころか、海外に行くなんてのも考えたこともなかったのに、翌年には初海外で飛行機に乗ってタイに来てて、いつの間にかタイに住んで、日本の方が外国みたいになってしまった。
 もしタイに来ていなかったら、と想像しても、なにも思いつかないことを見れば、こっちに来てよかったのかもしれない。そもそも日本にいた間にいいことなんてなんにもなかった。こっちに来て、嫌なことはあってもいいことの方が多い。日本人に生まれてよかったとは思うが、日本はつくづく合わなかったのかな。
 よく「もうこれからずっとタイなんだ?」と訊かれる。深く考えてないけど、きっとそうだろうと思うよ。タイ語しかできないしタイでしか暮らせないタイ仕様のタイ人嫁をもらっては、そう外国には引っ越せないし。高い確率でタイだろうけど、そう訊かれても俺だってわからない。
 住む場所も考え方も仕事も、ずっと続くものなんてないんだろうな、俺には。この中途半端さがいいとも言えるし、足を引っ張っているとも言える。


 20年前は中学を卒業するころだった。あのころからひどい人生だった。死んだ方がマシだと思っていたし、今考えても、よく生きてきたな。
 30年前は幼稚園を卒業するころ。幼稚園のこともよく憶えているよ。亡くなった祖母はなぜかソフトクリームを買ってくれるが、コーンは食べさせてくれなかった。祖父は俺が20歳のころには多少ボケてしまっていて、俺のことは憶えていなかった。小さかったころはまだバリバリ働いていたのを見てたと思う。父方は祖母しかいなかったが、幼稚園のころから一緒に暮らすようになって、嬉しかった。
 で、10年前、気がつけばタイで暮らしているしよ。いったいなにがあったんだろうな、俺。ま、ホント、日本が嫌いだったな。日本は病んでいる人間が多いという思いが小学校中学年くらいから持っていたが、それが変わらなかった。タイはそれ以上に多いんだけどさ。日本みたいに干渉してこない分、マシだわな。


 いろいろなことに疲れてきた。また5年後、10年後、どうなっていることやら。今よりもいろいろな意味で生活レベルが上がっていればいいけど、こればかりはわからないからな。