バンコクとタイ家族のこととくだらない話と

タイ在住歴20年のライター・高田胤臣の個人的なブログ

今日から本気を

 ついに2020年か。どうにか前厄・本厄・後厄という冬の3年間を乗り越え。この間、単行本の出版は何冊かできたけれども、自分自身はズタズタで、かなりしんどかった。実際、高田家の経済状況は逼迫してて、もう地獄地獄って感じ。

 とはいえ、子どももいるし、なんとか立ち直らなければと。それで地を這って生きてきたわけだけれども、どうにか冬は過ぎた。今日から本気出す。というわけで、久しぶりにブログを更新した。

 一応タイトルも変更して、心機一転して。ただ、あまりにも久しぶりすぎて、はてなのプラットフォームさえも変わっていた。がんばってブログのタイトル画像も作ったのに、いつの間にかそういう場所さえなくなってたし。

 もったいないから、一応貼っておくけど。

 

f:id:Tan-BKK:20200101151536j:plain

  

 最初は自分で運営していたサイトを立て直そうかと思ったけれども、なんとまあパスワードとか忘れてしまったので、新規で立ち上げるしかなく。それは一応やるつもりだけど、簡単に本音を書いたりできるところといえば、やっぱりここかなと。

 そもそもこのブログって、2003年くらいに始めたものだ。当時はまだウェブログなんて呼ばれていたもので。元々、誰に気兼ねなく書ける場所がほしいと始めたので、原点に戻るというか。

 とりあえず、基本的には毎日アップしたいなと思っている。日々の生活などで思ったこと、取材の裏話とかいろいろ。 

 

ほかにもいろいろと始めたい

  2019年10月に日本滞在していたのだけれども、そのときに感じたのは、オレはライターとしてはまだまだというよりも、むしろ出版社や編集者たちと感覚が違いすぎるということだった。

 当然、タイでは日本人として過ごしているけれど、感覚はタイ人なんだよな。2002年から暮らし始めて、その前にもタイ語学校に行くために1年間暮らしているので、今年でタイ生活が20年近くになっている。初めて来たのは1998年だ。21歳のときで、人生の半分が日本、半分がタイというわけ。

 でも、日本は生まれてから物心つくまでも含まれているから、実質的な生活はタイの方が長いのよ。そうなると、感覚的に日本の常識がわからないというか。そもそも、日本の出版社は会議で売る本を決めるようなところなので、オレが入る余地なんかもうないよ。

 というわけで、出版社からの単行本出版を目指しつつ、出版社にも頼らない収入を考えないといけないと思い。そうなるとやっぱりウェブで稼ぐことかなと。

 それでこのブログを再開というのもあるし、あとはnoteでも記事を書いて、一部を収益化できるようにしたいなとも。それからホームページを護符刺青のものと統合して、ちょっと方向性を考え。

 あとは、日本にそもそも頼らないという、一番最初にタイに来たときの原点にも立ち返るつもりで。ただ、タイ語でさすがに本を書くことはできないので、動画ならと思って、去年の年末からYouTubeを始めている。タイ語で、適当だけど英語字幕をつけて。見事にITに弱いので、いまだ高画質でアップする術がわからんけども。

 

2020年最初の仕事はラジオ

  そういうわけで、とにかく今年から、いや、今日から本気を出す。

 で、そんな中、仕事が。無償なので仕事なのかどうかわからないけど、晶文社の「亜細亜熱帯怪談」の宣伝してくれるそうなので承諾した。名古屋のラジオに、日本時間7時45分くらいに数分間だけ。番組名は『TOYOTA HYPER CHARGER!』だそうで。

f:id:Tan-BKK:20190916173549j:plain

晶文社亜細亜熱帯怪談」

 ってか、朝7時45分って、タイ時間だと6時前じゃん。起きられるかな。とりあえず、年始に失敗はしたくないので、がんばっておきたいと思う。