バンコクとタイ家族のこととくだらない話と

タイ在住歴20年のライター・高田胤臣の個人的なブログ

オートレース

 今日は母の日で祝日。といってもどこにも出かけず、ずっと家にいたが。
 最近ちょいちょいユーチューブでオートレースの映像を見ている。やっぱかっこいい。
 高校中退したり会社を辞めたり、刺青入れてみたり。いろいろやってきたが、なんも考えてないタイプなのであんまり後悔をしたことがない。
 でも、このオートレースの映像を見ているときだけは甘酸っぱいなんとも言えない感情と激しい後悔が湧きあがってくる。
 高校2年の前期で高校を中退して、さてどうしたものかとしているところで大けがをした。バイクの洗車中に誤って右手人差し指の先端を切断。びっくりしたよ。第一関節まではいかなかったけど、折れた鉛筆の先みたいに肉と骨がぎざぎざに飛びだしててさ。そして当時働いてたバイク便の仕事にも行けなくなってて、ホントどうしたものか、と。
 そんなときに何かの本でオートレースというのが川口にあると聞いてちょいと見に行った。そこでそのスピードと爆音に魅せられた。初めて見たレースは普通のグレードレースとかじゃなくて。この間亡くなった阿部ノリックのお父さん、阿部光雄が他車にぶつけられながらも果敢に走っているレースだった。
 そのあとも何度レースを見に通った。ギャンブルとしてではなくて、純粋にレースだけを見に行った。
 それで翌年の夏くらいから浅草橋の屋形船の船宿でバイトをしてて、19歳になる年の1月に試験があると聞いて、秋くらいからいったんバイトを辞めて勉強と減量に専念した。当時80kg手前くらいまで体重があって、それを60kgまで落とさなければならなかった。
 で、気合いで落としたはいいけど、やっぱり急激な減量で顔色もよくないし、倍率も高いしであっさりと敗退。
 そしてそのあとは池袋のナムコの遊園地でバイトしたり就職したり、タイで死体を見る! なんてやっている内にすっかりオートレースのことも忘れていた。
 そんなこんなで時間が過ぎて今こうしてオートの映像を見ていると、なんで何度でもチャンスがある限りに挑戦しなかったんだろうか、と。受かる受からないは別にして、やるだけやっておけばよかったな、と。
 だけどね。
 もし何度でも挑戦していたら、本当にそうしていたら、今こうやってタイで暮らしていなかっただろう。結婚もせずにいただろう。アムにも出会うことはなくて、ネネも生まれることはなかった。
 だから、後悔してはいけないんだよね。
 とはいっても、やっぱりオートの話を聞いたり映像を見ると、なんか切なくなる、正直な話。
 アムとかには言わない、心の中で思っているだけのこと。
 最近になって選手候補生試験の年齢制限も上限がなくなったらしいし、チャンスがあるといえばあるんだが、果たして挑戦できるのだろうか。
 今はとにかく、さっさと脱サラして、自分に正直に、自分らしく生きたい、というのが願いだ。