厄払いに行ってきた
前厄、本厄、後厄と冬の3年間がやっと終わった。それで今年から本気出すと宣言通りに。とはいえ、なにに本気になったらいいのかわからないので、とりあえず毎日このブログとnoteをアップしているわけで。
また「本気出す」に合わせて、厄払いに行ってきた。一般的な仏教寺院ではあまりやっていないみたいなので、中華寺院というか、中国式の祠に。去年も行ってきて、そのときに祈ったのが太歳神だった。これが日本の仏教では薬師如来で、それもあって日本滞在時に寺社巡りをして、という昨日の記事の流れだ。
ちなみに、noteでもすでにその話を書いており。
今回も同じ祠に行ってきた。なんか、野良犬とかなら見たことあるが、野良七面鳥がいる祠でなんかすごい感じがする。
この近辺には潮州人が多かったらしく、それでできた祠だ。でも、もう2世3世になっているので、ここに来る人はかなり減っているのだとか。関帝も祀ってあったので、プーケットとかの串刺し祭りに似たことをここでもするのか訊いたが、さすがにやっていないそうだ。
タイ族は厄払いなんてあまりしないのか、アムは「厄年でもないのに厄払いなんてできない」と散々言い、そして係のおばちゃんに「できないですよね?」って訊いてた。できないわけないし。
そのくせ、境内に掲げられている干支の運勢をアムはよく読み込んでいた。
この干支の運勢はnoteで書こうと思う。いまだ使い方の勉強も兼ねているので、これは試しに有料設定にしてみようかと考えているところだ。
中国式の厄払いなので、あるいはタイ式も混じっているのかわからないけど、日本だと僧侶がお祓い棒でさっと祓うことをここでは自分でやる。しかも、頭から足下まで紙製のお祓いセットで祓うのだが、年齢プラス1で。オレだと今年43歳なので、44回も。邪気を祓う代わりに腰に来そうだった。
厄払いのときは太歳神だったが、今回はここの本尊であるジャオポー・バンプリーヤイにやってきた。と、思う。腰に来そうでちゃんと確認していない。
前厄と本厄のときはアムに散々言われてここに来ることはできなかった。それで、日本に行ったときに西新井大師に行っていた。
地元というのもあるし、幼稚園もこの辺りだったので、子どものころはよく来たような記憶が。そのころはホント大きな境内だった印象があるけれども、改めて行くと小さな寺院というか。日光街道も子どものころはものすごく広い大通りと記憶しているが、タイの通りの方が圧倒的に広いので、それに慣れてしまったからか、ものすごく狭く感じる。
地元も新しい道とかできているし、なんか全然知らないところになっているし。もう20年近くタイにいるので、足立区に住んでいたときよりもタイの方が長くなっていると言ってもいいくらいだから、当たり前なんだけれども。