バンコクとタイ家族のこととくだらない話と

タイ在住歴20年のライター・高田胤臣の個人的なブログ

noteを一部有料化したいけれども

 目標2年、がんばって3年間、どうにかこのブログとnoteを毎日更新していきたい。今のところ、毎日アップできている。

 ただ、どうにかして収入に繋げたい。これで本職の依頼が来るならそれでもいいし、ネットでなんとか収入が得られるようにならないかなと。noteを始めたきっかけはそこが大きい。有料化にできるからね。

 しかし、じゃあいざ有料化するとなると、どういった記事が買われるのか、そういうことがわからない。とりあえずは数ヶ月は完全無料の記事で行こうと思っている。あとはマガジンってのもあるので、よくわかっていないが、シリーズ化、あるいは連載化できるものはしていきたい。

 今のところ、noteで連載できそうな、オレ以外にできる人が少ないのではないかと思うのは、昨日上げたタイ・ポップスと90年代後半+2000年代前半、それからタイの宗教刺青である護符刺青に関して。そこかな。

 初めてタイに来たのが1998年だけれども、タイ・ポップスなら90年代後半の曲は結構聴いている。あと、2000年代前半かな。たぶん2006年くらいまでは確実に聴いている。あるきっかけで一気に聴くのをやめた。だから、実質10年も聴いていないけど、少なくとも200回以上は連載できるネタがある。

 護符刺青もそうだな。ネタとか、図柄とかいろいろ書けるかなと。それで言ったら、怪談の本も出しているし、怪談ネタもいいね。

 とはいえ、どのタイミングでどうやったら有料を買ってもらえるようになるのか、そのあたりは勉強していかないといけない。

 オレは子どものころから人が夢中になると途端に嫌になるという性質を持っている。

 小学4年生とかそれくらいのときにスケボーが流行った。オレはその直前に始めていたので、誰よりも先に、自分で滑るコツを掴んだ。だから、みんなが始めたときにオレは教えてあげたよ。あっという間にみんなもできるようになって、オレはスケボーをやめた。

 中1でマウンテンバイクが流行始めた。ジャイアントって台湾メーカーは今や有名ブランドだが、そのときはビーパルって雑誌で軽く取り上げられているだけだった。それを見て早速親に買ってもらった。そして、父も同じマウンテンバイクを買い、どんどんハマっていった。それを見て、オレはママチャリに乗り換えた。

 父は小中学校で使う教材の編集者で、自宅には小さいころからパソコンがあった。画面が緑色で、記録もカセットテープにする時代だ。ダイナブックもたぶん初代からうちの父は使っていたと記憶している。マックもiMacだっけ? 半透明のケースのディスプレイの。それもあったな。

 だから、オレはパソコン関係にまったく興味を持てず、26歳くらいになってやっと触ったくらいである。長々と書いてしまったが、要するにITにものすごく弱いのだ。

 今や時代は変わり、嫌だでは済まない。だから、わからないなりに勉強して、なんとかやっていきたいなと思うわけで。