バンコクとタイ家族のこととくだらない話と

タイ在住歴20年のライター・高田胤臣の個人的なブログ

黒霧島の思い出

 先日、ハノイ滞在時に現地在住のYさんと食事に行った。巧という店で、現地では有名店らしく。実際、どの料理もおいしかった。そのときにYさんの黒霧島キープボトルで焼酎を飲ませていただき、空になったので赤霧島を頼んでいただき、ご馳走になった。

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酔っ払って撮っているからピントがうしろに合っているけど。

 これが初めての赤霧島だった。違いがわかるほどのグルメではないけれど、実際、おいしかった。

 実はオレは焼酎が飲めなかった。高校生のころ、酒の飲み方もわからないころは友人らと集まって、友人の部屋で甲類焼酎を飲んでいた。当然、当時は甲類・乙類の違いなんて知らないけど。

www.shochu.or.jp

 なんか調べてみると、甲類焼酎って日露戦争のころに開発されたみたいだね。下記を見るとタイの名前まで出てくるねえ。タイのラオカオって酒は、沖縄の泡盛の原型とも言われるけど。

www.webdoku.jp

 当時は高校生だって酒もタバコも買えたし、エロ本だって買えたものだ。だいたい、一般家庭で夕食の席で父親がタバコを吸うって普通だったしな。飛行機だってオレが20代前半くらいまでは普通に喫煙席もあったし。

 とはいえ、コンビニが今ほど充実していなかったから、買える焼酎っていっても甲類焼酎しかなかったような気がする。ビールはまだ苦くておいしいと思わなかったし。オレがビールにハマったのは18歳19歳のときに屋形船でバイトしてて、そのときの先輩に連れて行ってもらった浅草橋の中華屋で飲んだ生ビールからなので、まだオレにビールの時代が到来していなかった。

 で、甲類をコーラとか甘いので割って飲むって感じだった。それが最初なんだが、そのあといいちことか飲んだら悪酔いしかしなくて。以降、焼酎と赤ワインだけはだめだと思っていた。

 そうして前職の電子部材の専門商社に入ったときに、接待とかで飲むのが焼酎になってしまい。今でこそバンコクはどこでも日本酒があるが、15年前とかって焼酎が主流で、日本酒は安い変なのしかなかった。オレは焼酎と日本酒ならそんなんなので、どちらかといえば日本酒派だけれども、そんな安いのは高いだけでまずいから飲めないし。

 それであるメーカーさんとふたりで飲んだときに、芋焼酎なら行けるのではないかと言われて頼んだ。クセがありますよ、と言われたけど、全然行けた。まあ、ハノイで睾丸ワイン飲んで全然行けるクチだったので、臭い系は平気なのかも。

 そのころはまだ在住日本人、特に現地採用者とかは外食は屋台ってのが相場だったんだが、段々環境が変わってきて、和食屋で飲むようになり。そのときに友人らがいいと言っていたのが、黒霧島だった。輸入費用とか酒税とかいろいろかかるから、当時はボトルが1800バーツだったと思う。それはたぶん今もあんまり変わってないと思うが。

 1800バーツというと、当時で5400円くらいか。でも、口に合ってそこから焼酎はなんでも飲めるようになった。

 そして、あるとき日本に行き、たぶん出張だったのかな。まだ羽田がタイ行きとかないころで、帰りの成田の免税店で黒霧島を買おうと思ったわけ。ボトルを買っていけば、みんなで飲めるし、なにより日本で買えば安いでしょう。

 で、免税店で見てたら、まず店員のじいさんが英語で話しかけてくるわけ。一所懸命、黒霧島の魅力を説明してくれるの。オレ、タイ人に見えるのかね。日本語で返すタイミングなくなって、オレもしばらく英語で返してたけど、面倒になって日本語に切り替えた。

 それで、だ。タイで5400円だからもっと安いのはわかるけどさ、まさか1000円切っているとは思わないよ。そんなに値段が違うとは思いもしなくて、まあここはタイに毒されているんだろうな、オレは「これはニセモノだ」と思い込んでしまったわけ。

 だから、そのじいさんに、オレは本物の黒霧島を持って帰りたい、と。向こうも「は?」だよね。そうしたら、赤霧島を持ってきて、こちらでは? と。いやいや、黒です、と。でもこれしかない、と言うので、仕方なくオレは買って帰り、友人らには「ニセモノを成田で掴まされた」と言ったら、普通に本物だった。

 無知って恥ずかしいね。たぶん、この話はリアルタイムでこのブログで書いているかも。英語で話しかけてきたタイミングとは違うかもしれないし。でも、本物をって言ったのは本当で。恥ずかしい。