バンコクとタイ家族のこととくだらない話と

タイ在住歴20年のライター・高田胤臣の個人的なブログ

厄年ってのは新年が基準なのか誕生日が基準なのか

 先日43歳になった。SNSでは誕生日を公開していない。年齢不詳にするためではなく、単にSNSでおめでとうのメッセージが来るのが嫌だからだ。自分に言われるのも面倒だし、人に言うのも面倒である。自分が嫌なことは人にしてはいけない。これ、人として当然のことではないか。

 1977年生まれだったので、2017年2018年2019年と厄年だった。それでこの数年間は2020年になったら本気出すと言ってきた。九星気学では12年周期で運気が季節のように巡っているのだとか。3年ごとに春夏秋冬が巡る。厄年のこの3年間が冬だったので、2020年からオレにとっては春になったわけだ。

 それで、2020年から本気出すってことで、一応仕事はがんばっている。中でもYouTube始めてみたり、noteとこのはてなブログは毎日更新している。あまり金にはなっていないけれども、この先、なにかに繋がると信じて。

 で、まあ、先日誕生日を迎えて、厄年って結局、その年度の頭をスタートに考えるのか、それとも誕生日を基準にするのか、どっちなんだろうかと。年度初めだと、1月1日生まれと12月31日生まれでは話が全然違う気がするんだよね。

 まあ、今年は結構早い段階でウィルス騒動が起こったじゃない? タイは1月25日の段階でいろいろあったわけで。3月になってから今のように厳しい状態になったし、それまでは誰もここまで悪化するとは思ってもみなかったっていうのはある。

 でもオレの中でまたナマケモノがむくむくと起き上がり、本気出すのは誕生日からでよくないか? と。それで誕生日翌日にがんばろうとしたら、ひどい頭痛で仕事もできないくらいで。頭痛持ちじゃないんだけども、急に。仮に誕生日から厄年終了というのであれば、オレのは全然終わってないな、と。

 よくよく厄年を調べると宗派とか、寺社で考え方とか、年齢の数え方が違うみたいね。まあ、一般的には40~42歳が厄年らしいので、それはそういうことで動いてきたけど。タイなんかもまたちょっと違うし、どこを基準にするといいんだろうな。

 とはいえ、がんばって動いていきたいね。本気出す。やりたいことはいくつもある。まだまだ途中だと思っている。書くという活動に対してね。本当は書くことを仕事と言いたくないんだけども。

 生活上では今、というか数年前から外国への移住ができないかどうかを模索している。日本20年、タイ20年と過ごしてきたので、次の20年は外国で暮らしたい。でも、家族が一緒に行けるかどうかわからないし、すでにタイ移住で経験しているけれども、その前の経験はせいぜい20%くらいしか役に立たない。つまり、積み上げてきたものをすべて崩して仕切り直すことになる。それも本気出すタイミングではいいんだけれども、家族がそれに馴染めるかどうか。

 いろいろ考えている毎日で。