バンコクとタイ家族のこととくだらない話と

タイ在住歴20年のライター・高田胤臣の個人的なブログ

田舎っぺ

 一昨年の10月ごろに出版された『バンコクジャパニーズ列伝』。うしろから2番目の人物として取り上げていただいたわけで。
 その著者、皿井タレーさんと久しぶりに会って、スクムビット・ソイ33の田舎っぺという居酒屋で食事をした。
 今年に入ってから仕事が忙しい。仕事の変な部分はすべて俺に回ってくる仕組みになっているので、もう嫌になってしまう。新しく日本人を探しているんだけど、みんな経験がないのに俺より給料が多くて(最高は9万バーツ)、しかもそれを採用の方向でいろいろと検討しているようでさ、モチベーションががっくり下がった。俺の契約は俺の契約で彼のは彼ので関係ないとは言え、知ってしまった以上やる気がなくなる。3年もやってる俺と経験なしの人が同じ給料・・・・・・。確実に面倒な仕事などは俺に回ってくるので、そろそろこの会社も終わりかなと。来月昇給があるので、その査定の話の中でこちらの気持ちをぶつけてだめなら、たとえ下がったとしても別のところに移るつもり。まあ、そんなこととか、事故起こしたし、懸賞は落選したし*1、なんかいいことないなぁ、と。
 それでこちらから連絡させてもらって、わざわざ時間を割いていただき。
 大好きな『物書き』という職業の人に現場の話をいろいろと聞いたり、まあ一緒にいるだけで、俺も業界人の気分、的なものを味わいたいなと。そして元気になりたいな、と。
 先日も友人のY氏の仕事関係の人で、某有名出版社の元編集長さんという人の話を聞く機会があってね。かな〜り怪しいおじさんなんだけど、やっぱ話がおもしろいんだよね。
 そんなことがあって、この機会にづけづけとアポイントを皿井さんに。今までも連絡を取ろうかなとは思っていたけれども、どうも遠慮が先に立ってしまって。
 もうそんなことを言ってられないくらいへこんでる毎日で。
 実際会えてよかった。
 最後に会ったとき、ぜひ企画書の書き方を教えてください、と熱く問わせてもらって。そのときはレスキューの話をまとめて日本のどこかの出版社に持ち込もうと考えていて、いろいろと書いたんだけど、何かが納得いかなくって。たぶん俺にタイのレスキューについて知らないことがまだまだ多い。そこなんだと思う。知っててあえて書かないのと知らないで書かないのは厚みが違うんじゃないかなって、いろんなところで聞くし、俺も実際そうだと思う。だからもうちょっとじっくり見てみようかなと。日本人でタイのレスキューに関わっている人なんてそういないし、最新のネタとしては俺が今一番前で握っているんじゃないかなって。これからもしばらくはそうだろうと。ならば焦る必要はないじゃないか。そう思ってさ。決して諦めたわけではなく、ただ前に皿井さんに会ったときよりちょっと冷静になったというか。
 でも皿井さんから見たら現在に至った経緯はご存じないわけで。また、今回誘わせてもらったのはそういった『熱い』つもりはなくて、久しぶりに『ライターさん』を堪能しようという、俺の下心という意味じゃないいやらしい気持ちがあっただけ。なんだけれども、皿井さんはいろいろと考えてきてくださって。
 とてつもなくありがたい話をいただいたわけで。ただあくまで提案なだけでなんの形になっているわけではなく、高飛車ですいませんがこれから前向きに検討させてもらいますということで。
 そういった話をもらえたのもうれしかったし、こう自分のためにプラスになる人(その提案をいただいたからとかそういう意味ではなくて、精神的にというか、これからもがんばっていこうというモデルになるというか)と会うっていうのはやっぱりいいことなのだと。
 さて、田舎っぺなんだけど。思ったよりよくて、また行こうって思った。タイ自由ランドで大将がいろいろと顔を出して派手に宣伝してるんでどんだけ変わった人なのだろうという見物的な感覚で行ったんだけど、普通の人でした。いや、むしろそんなことをするような人には見えず。やらされてるんだろうなぁ。

*1:それでも6475本だっけか、の中の8本に残ったのはがんばったと思うけど。こんだけの数から残ったのはまぐれではなく実力である。と信じたい・・・・・・