バンコクとタイ家族のこととくだらない話と

タイ在住歴20年のライター・高田胤臣の個人的なブログ

生肉はやっぱりちゃんとしたところで

 noteの方で12回に渡って生肉料理の話を書いた。

note.com

 今回の一連の中で最終回にはいつもの鳥波多゛(とりはだ)を。推しているわりには画像の色合いがちょっとよくなかったけれども。

 2019年はほとんど行けていない。心霊の本でずっと書き続け、やっと出版されたけれども、そのあとすぐに日本行っていたし、というのもあって、今年はもっと行きたいなとは思っている。鶏モモ炙りをひとり占めしながらにごり原酒でやっつけたい。

 生肉というのは、どうしてこうオレを駆り立てるのか。なんか生肉は怖いからって敬遠する人の人格を疑うくらい、オレが生肉が好きだ。

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ベトナムの牛肉フォー。

 ベトナムのフォーをオレは長らくバカにしていたのだが、フォーは麺だけを楽しむものではなく、具とスープも一緒に、総合的に味わうものだと知ってから見直した。しかし、本当は画像のように、フォー・ボー(牛肉のフォー)の肉がかなりレアであるということも気に入ったひとつの理由だ。

 在住日本人ならみんな知っているレバ刺し屋台も好きだ。イサーン料理屋台はバンコクのそこら中にあって、そのほとんどで生肉が食べられる。ゴイとかソックレックとかいろいろある。

 ちなみに、ゴイとかソックレックって定義が曖昧だ。タイ料理は肉の切り方で料理がまったく違うものになる。ラープとナムトックは共に肉のサラダのようなものだが、調味料や食材はまったく同じだ。違いはラープは挽肉、ナムトックはぶつ切りなど、切り方が違うだけだ。ビーフバーガーとポークバーガーのように肉の種類が違って、違う料理という判定ならまだわかるが、切り方で違うっておもしろいな。

 そのため、定義も曖昧になって、ゴイとソックレックがわけからない。これもまた使い材料がほとんど同じだけれども、煎り米を入れるか入れないかとか、血を入れるか入れないかで変わってくる。その定義がみんな違う。

 まあ、そういう適当なところもタイらしくていいとは思う。別にどうでもいいもんね。そんなことって。おいしければいいじゃん、と。

 プリディー43のレバ刺し屋台がほかのイサーン料理屋台と違うのは、店主が和食経験者だということだ。だから、生肉の目利きができるということか。普通のイサーン料理屋台は加熱用の肉、というか生食が前提でない肉を、ほかの料理と同じ包丁とまな板で作っている。日本なら一番やってはいけない生肉の管理方法で生肉料理を提供している。これは怖いね。だから、オレはイサーン料理屋台で生肉を食べるときはトウガラシを多めにして辛くし、気持ち的に殺菌をしている。もちろん、子どもには絶対に食べさせない。

 とはいえ、である。レバ刺し屋台はレバ刺しを屋台料理の料金で食べられるという魅力が大きい。しかし、調理場は外にあるようなものなので、リスクはかなり高い。そのあたり、わかっているのかなと、連日満員御礼にしている日本人たちを見て思う。果たしてオレみたいに、もし当たっても自分の責任で店主のせいに絶対にしないと思って食べている人はいるのだろうか。怖いのは、なにかあったときの日本人の手のひらが返しだ。

 それに、店主やレバ刺し屋台を否定するわけではなく、あくまでもオレもあの店が好きだということには変わりないけれども思うのは、やっぱり生肉、レバ刺しはちゃんとした店の方がクオリティーが高い。角も立っていて新鮮であることがわかる。そもそも、肉質がいいものを使っている。

 日本って不思議な国で、製品はいいものであり、安いものというふうに思っている節がある。そんなの本来はおかしい話だ。家電を見ればわかるが、いいものは高い。悪いものは安い。だから、自身の経済レベルに合わせて選択するわけだ。

 食べものもそうだ。やっぱりいいものは高い。その中ではレバ刺し屋台はあのクオリティーであの値段だからすごい。でも、結局はそれなりの範囲内で選ばれたレバーだ。ちゃんとしたレストランの方が生肉の質はかなりいい。

 だから、人気になる前から知っているあのレバ刺し屋台の繁盛はオレも嬉しいが、詰めかける日本人にどれだけ覚悟があるのか。手のひら返しをしないか心配だ。生肉を出している以上なにかが起こる可能性があるわけだから、ほかにも料理がある中で生肉を選んだ覚悟を持っていてほしいなと思う。

 まあ、なにかあってなくなってほしくない。安くレバ刺しを食べるチャンスがなくなるのが嫌なのだ。