バンコクとタイ家族のこととくだらない話と

タイ在住歴20年のライター・高田胤臣の個人的なブログ

言霊ってあると思う

 ある雑誌である特集をしたときにある人からクレームが入り、それが理不尽で、なんだコイツと思っていたが、言霊ってあると職業柄思っているので、この人に返ってきちゃうんじゃないかと思ったら、その数年後、本当に返ってきたのか職を失い、困窮して日本に帰ったらしい。

 だから発言には気をつけなければならないね。

 言葉っていうのは生き物だから、時間が経つにつれて変化する。生き物だから成長し、年老いていくし、生きているからこそ魂がある。

 人間は年老いていくと保守的になる。だから、若者が使っている言葉を批判する。おかしいよね。年寄りが若いころ、その時代の年寄りに言葉遣いを言われていたはずなのに、自分が年寄りになると同じことを言う。そういうつまらない人間になってはいけない。

 でも、不思議なのは、人間、自然とそうなっていくのだ。無意識に生活しているとね。たとえば、今回の騒動でよく「ロックダウン」という言葉が出てくる。バンコクはロックダウンされていないのに、ネットの大半は「バンコクがロックダウン」って。ブログならともかく、プロの記者までがロックダウンって書いていることもあって、定義ってなんなんだと、オレはイライラするわけ。

 ところが、ここなんだよね。言葉ってのはあくまでも意思の伝達ツールであるのだから、他者に広く伝わる意味が残っていく。そういう言葉、日本語だけでもいっぱいあるじゃない。本来の意味とは違うとか、間違った方がイメージで広く知られているとか。

 言葉の成長にはそのことも含まれている。人間だってまっすぐに育つ人も入れば歪んで育つ人もいる。それでも人は人だ。

 ロックダウンも本当の意味はなんであれ、多数が理解する意味合いが正しいものになっていく。だから、それに目くじらを立てて、違う違うと言ったところで意味がない。そのあたりを意識して気をつけていないと、意識や思考が凝り固まって、つまらない大人になっていく。

 とはいえ、生理的に受けつけない言葉というか台詞ってある。タイに住んでいるからよく耳にするので許せないというか、気持ち悪いなって思ってしまう。いろいろあるが、ぱっと思いつくのは、この3つだ。

 

・タイに住まわせてもらっている

・タイと日本の架け橋になる

・自分探し

 

 なに? 就活マニュアルみたいな感じで、タイ生活マニュアルって配られているの? ってくらい、こう言うヤツが一定数いる。

 ま、確かにタイは外国であり、許可を得ないことには住むことはできない。でも、その「住まわせてもらっている」って誰から許可得ているの? 政府は「人」じゃないわけだし、あちらさんが提示している条件を揃えているわけだから、そこまで卑屈になる必要があるのかね。働いている人なんかは一般的なタイ人よりも多くの税金を払っているわけでしょ? じゃあ、そこまで自分が謙る必要はなくないか?

 特定の人物から、なんの生産性もないのにタイにいることを許されているなら話は別だよ。でも、そんな人、いないだろ。

 あと、架け橋ね。いいじゃん、「金儲けのために来ました」、「タイが好きでただいるだけです」、で。なんで架け橋? そのうち潤滑油とか言い出すヤツも出てきそうだ。だいたい架け橋って言うヤツに限って理想だけで実体がなかったり、タイにメリットのあるビジネスをしていない傾向にある。ここまで架け橋架け橋って言うならさ、みんなで金出し合って、本当にタイと日本を結ぶ橋かトンネルを建設しろよ。って思っちゃう。

 自分探しと言う人はだいぶ減ったけど、かつてはカオサンでよく聞いた。今もSNSとかでたまにいる。日本で自分がみつからなかったヤツ、タイにもオマエはいないよ。マジ。逆にインドの便所で「自分」をみつけちゃったらどうするのかね。それで日本に帰ったって、「自分」はインドの便所なんだから、日本にいないわけだし。

 ほかにもいくつかポイントはあるけれども、こういうキーワードが出てきたら、ちょっと警戒してしまい、新規で仲よくなるには時間がかかる。