子どもってのは母親に懐くもんだね
父親ってのは損だね。どんなにがんばっても、子どもは母親に懐く。
娘の場合はオレも会社員をしていたからそんなもんだとは思ってたけど、でも、帰ってきたら玄関の前に立ってて、オレがエレベーターから出てくるとマンションの廊下を走って迎えに来てくれたものよ。
でも、息子はほぼ毎日一緒にいる時間があるのに、全然だ。まあ、最初の子どもが娘だったこともあって、男の子とどう接するかがわからなかったのもあるけどさ。
結局、どんなにがんばっても、母親寄りになっちゃうんだよ、これは。
ちなみに、うちは家庭内言語はタイ語だ。娘が生まれたときは一所懸命に日本語を話してみたけど、まあ母親と一緒にいるからタイ語になるよね。幼稚園もタイの幼稚園だし。息子も日本語で話しかけてたけど、そのときは娘のときにそうしてたから赤ちゃんと話す言語がオレの中で日本語になっちゃう。同列に語るのも変だが、今でもネコとか犬はオレは日本語で声をかけてしまう。
息子とはアムと同じくらい一緒にいたけれども、やっぱり最初に話した言葉はタイ語だったね。とはいっても、最初の言葉がなにかはわからないけど。タイ語は日本語みたいに単語の発音が歯切れいいわけじゃないからわからないのよ。生まれたばかりのときに「お母さんって言った!」といか言うけど、タイ語の母ってメーだからね。それだったらヤギだってタイ語を話しているってなっちゃう。
たまに完ぺきなバイリンガルっているじゃない。あれってどうなるとそうなるのかなと、いろいろハーフの人に聞いた。今はミックスって言うらしいけども。
まず言語はスポーツとか音楽と一緒で、ある程度センスが必要だ。センスがある人はあとづけで勉強して完ぺきなバイリンガルになることは可能だ。凡人の場合、完ぺきなバイリンガルになるには、子どものときから2カ国語がないといけない。
ある意味、オレの赤ちゃんに話しかけるのと一緒で、無意識に入るチャンネルを持たせるといいみたい。たとえば、タイ人と日本人のハーフの場合、タイ国内に住んでいるのなら、家庭内言語は完全に日本語にしないといけない。外に出たらいくらでもタイ語があるので、マイナーな言語の方を家庭内で話す。まあ、結局のところ、両親が両方をかなり話せることが前提になるね。あるいは、タイ人の方が日本語をそれなりに話せないと。そして、タイ人の親は絶対に子どもとタイ語を話さない。
そうすると完ぺきなバイリンガルになる。オレが話を聞いた人の家庭環境はみんなそうだった。だから、それで言うとオレんちはもうだめ。
たまに中途半端な家庭だと、子どもに英語を教えるためって言って、タイ人夫婦なのに父親が英語、母がタイ語で話すようにしている。実際にオレも見たことあるけど、たぶんバカなんだろうな。父親がアメリカ留学してたので英語できるっていうけど、本当に言語を習得しているなら、その方法は意味がないということに気がつくはず。だから、たぶん留学ってのは1ヶ月くらい行った程度のものなんだと思う。
まあ、オレの考えも元々日本語は教えるつもりはなかったけれども。タイ語と日本語なら文法的にはタイ語の方が世界的に見て多い文法の形態に近い。だから、日本語よりも外国語を習得しやすい。それに、言語は語学ではない。あくまでもツールだ。だから、習いたいと思ったときに勉強すれば、どうにかなるって。
むしろ、完ぺきなバイリンガルになる環境にいないのに、無理矢理2言語を詰め込むと、最悪、両方が中途半端になる。深い思考は豊富な知識と語彙力から成るとオレは思うの。言葉が中途半端だと意味がない。それなら、タイ語をしっかりとした方がいい。どうせ、タイに住んでいくのだろうから。