やっぱりいるのといないのとでは違うと感じる
父から、バンコク-チェンマイ間の高速鉄道はもう走っているのか、と訊かれた。いや、開通どころか、線路だってまだまだでしょう。じゃあ、昆明-ビエンチャン間の方が先かな、と言っていたが、どうなんだろうね。ラオスは不動産開発には不発弾確認と処理が必要で、1ヘクタールで何千万円とかかるはず。だから、タイよりもラオスと中国間の高速鉄道なんて建設が進んでいないのではないかね。
父はバンコク駅、すなわちホアランポーンももうなくなったと思っていた。なくなるどころか、バンスーの新駅舎もやっと外側ができかけているところでしょう。ホアランポーンもあと数年は現役で活躍することは間違いない。
なぜ父はそう思ったのかというと、ネットで鉄道関係の記事を検索すると、タイ国鉄がこれからのビジョンを推しまくっているからだ。出てくる画像が、未来予想図というか、将来のビジョンばかり。それを見て、もう国鉄が変わったと思い込んでいたようだ。
それで思ったんだけれども、やっぱりそこにいるのといないのとでは理解が全然違うよなあ、ということだ。去年、日本滞在時に大久保に行った。娘にK-POPのグッズを土産に頼まれていたからだ。その直前に韓国海軍が自衛隊の航空機にミサイルのレーダー照射かなんかして揉めていた。ボクはネットでそのニュースを見ていたし、様々な論調も読んでいた。だから、大久保辺りは嫌韓によって閑散としているのではないかと。ところが、全然普通に賑わっていたし、テレビでも韓国の食やファッション、ドラマなどが紹介されていた。
オレは日本人だから、日本のことをわかっていると思っているが、実はなにもわかっていないんだな。それはそのはずで、タイにもう20年近く住んでいるので、人生の半分以上は外国だと言っても過言ではない。
かといって、タイのこともなにもかもわかっているわけではない。カンボジアで不動産詐欺をしていたとされる人は、その直前までバンコクにいた。そのときに会ったことがあるのだが、まあ、タイに来たばかりなのにタイのことをなにもかも知っているような口調だった。その後カンボジアに行ったあとも同じような感じのことをSNSにいつも投稿していた。ボクの経験からはまったく逆で、長くいればいるほど、奥が深くて、おいそれと「わかった」なんて言えなくなってくる。最初は確かに知ったような気持ちになるけれど、長くなるほどそうは思えなくなる。
結局、オレはなにもわかっていないんだなって。最近よく思う。知らないってことをオレは知ったっていう感じかな。一般的な旅行者よりはタイのことを知っているけれど、かといってなにもかも知っているわけではない。日本語ができるからと言っても、やっぱり日本にいないから日本のこともわからない。って、いったいオレは何者なんだろうなあ。