バンコクとタイ家族のこととくだらない話と

タイ在住歴20年のライター・高田胤臣の個人的なブログ

バンコクもどんどん変わっていく

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 もう一度縦画像にトライしてみるけど、たぶんはてなの方の問題だと思う。こっちで編集しているときは縦になっているし、編集画面のサムネイルも縦になっているんだよ。なんなんだ、いったい。

 古い画像を見てたら、スクムビット通りソイ38の屋台がまだあったころのものが出てきた。ここ、なんか有名だったよなあ。たぶん、日本人限定だと思うけど。一度しか行ったことないけど、別に珍しいものがあるわけでもないし、特別においしいものがあるわけでもないし。値段だって普通だった。なぜあんなに有名だったのかまったくわからない。

 そもそも、そこに行ったのも、行きたくて行ったわけじゃなくて、打ち合わせのあとに連れていかれたからだ。オレはひとりで鳥波多かエビス参かどこかで生肉でも食べようと思ってたのに、このあと行こうよ、なんて誘われて。てっきり和食だと思ったらまさかの屋台って。

 しかし、ベトナムもそうみたいなんだけども、東南アジアはどんどん発展していく中で、その国らしさがどんどんなくなっていく感じがして、なんか残念だな。屋台は外国人にとってはタイの顔のようなものでしょう。それに、タイ人の食生活の場であり、なにかあったときの仕事の場でもある。タイは政治家と一般人がかけ離れすぎている。そりゃあどこの国もそうだけども、タイの場合はまず下の人間が政治家になることはまずない。だから、庶民の生活なんかは誰も見やしないんだな。

 だから、屋台もどんどん減っていく。ただ、減る減るってのは2000年代初頭から言われてきた。だから、ここがなくなればまた別の場所にできるって感じで、絶対数的にはあまり変動はないとは思う。でも、自分の身の回りから消えていくのは残念でならない。

 かつては、夕食だとか飲み会なんて普通に屋台だった。それが当たり前だった。伊勢丹の横の、プラトゥーナームに向かう辺りにイサーン料理の屋台がいくつも出ていた。あそこでよく飲んだし、店員とも顔見知りで、いくつかの料理は一般的なタイ人とは違う味つけを我々は好んでいて、それを憶えてくれて。そういうのが楽しかった。

 この10年くらいに移住してきた人はその楽しみを知らないだろうな。まあ、2000年代初頭にタイに移住する場合はタイ語が必須って感じだったけど、今は日本語だけでもどうにかなることもあるし、そうなるとローカルとの接点がなくなるよなあ。

 だから、その点で言えば、そういった思い出があるってのが、屋台とか昔ながらのタイのおもしろさが減りつつある中では、ラッキーだったのかもしれない。