バンコクとタイ家族のこととくだらない話と

タイ在住歴20年のライター・高田胤臣の個人的なブログ

ライター10年で思うところ

 今月で、ちょうど最初に出させてもらった、皿井タレ―さんとの共著「バンコク 裏の歩き方」(彩図社)が出版されて10年になる。そして、4月になって会社を辞めているので、ライター専業になって今年でジャスト10年だ。長かったようで、あっという間に過ぎたというか。

 思ったほどできないこともないんだなっていう思いと、いつも崖っぷちっていう気もするし。なんとかここまで来たけれども、収入はなかなか上がらないし、正直、節目になったのでこれからの身の振り方を考えなければなとも思う。ちょうどコロナであるし、家族と離れて過ごし、もう住むことはないと思っていた日本に長期滞在しているし。あくまでも日本は一時的な滞在で、オレのホームはタイだと思っている。

 でも、こういうタイミングだから、ライターとしての生き方とか方針を大きく転換する時期に来ているのだなという気がする。これは数年前から思ってはいるけれど、節目になったので、今さらでも考えないとな。なによりも子どもたちを優先に考えないといけないと思う。辞めるつもりはないけれども、最悪はライターは兼業にするとか。

 いろいろな人にライターで生活していけているんだから大したもんだと言われる。でも、実際は火の車よ。もともと金持ちに憧れているわけでもないし、金がすべてとも思わない。でも、現実的に金はいるよね。

 とはいえ、自分がこういう生活水準で、たとえば服だって別に普通の格好で十分だし、髪だってタイの床屋できるので問題ない。取材旅行とかもゲストハウスに泊って、できるだけ歩いて取材するとか、屋台で食事をするとか、そういういわゆる貧乏旅行も苦じゃないし、それが普通だと思っている。

 ところが、今、こうして日本人が増えると、そうはいかない。SNSの発展もまたそういう生活水準をみじめに思わせるというか。移住したばかりのころは日本人なんかあまりいなかったし、会わない限りはなにしているかわからない。今は会ってなくてもなにしているか見えてくる。そうすると、やっぱり自分と他人を比較してしまう。知り合いに会ったときも、会話の中でオレがズレているみたいな雰囲気になることもある。

 職業柄、それから今のバンコクではそういう付き合いを絶つこともできない。数日前にニュースアプリにあった記事で、ブータンかどっかの国民の幸福度がトップだった国が、SNSの台頭で自国の貧しさがわかってしまい、幸福度が下がったって。わかるわ。まさにそれだよな。

 実家にいて、母が父にいろいろ言っているときがあるんだけれど、それって父の事由であって過干渉だろうってものもある。オレが子どものころから母はそういうところがあった。でも、それって案外に日本人に多いことだと思う。他人にとやかく言いがち。それが嫌で、日本人が少ないタイに移住したのに、今や日本人の密度が世界で一番高い街になっているし。

 ライターとしての方針転換を考えているし、タイに帰ったら、本当にこの先もバンコク辺りで活動していていいのかってことも決めなければと思う。日本人が増えたことで便利になったのも事実だ。でも、本来の根っこにある部分とはだいぶかけ離れてしまった。だから日本人が少ない、誰も知っている人がいないところに行きたいなって思う。

 日本人が多いということは、このご時世、発信者も増えるわけで。そうなると、ライターの仕事もどんどんなくなっていくし。日本人がいないところだったら、情報は全部オレのもの。いいアイデアだと思うんだよね。